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 タクシーの支払いを済ませると、私は先に降りた祐二君を追った。  既に消防車が駆けつけて放水が行われていたが、私は祐二君の背中で、勢い良く窓から炎が伸びてそれが屋根まで駆け上がっていくのを目の当たりにした。 「店が!」  手を伸ばして今にも炎の中に入って行ってしまいそうな彼を、警官が慌てて押し返す。 「祐二君」 「けど……」  私は首をゆっくり横に振る。 「金森さんの、店が……」  看板が音を立てて炎と共に落下した。  翌日、私と祐二君は(そろ)って警察に呼び出された。ドロシーズの関係者として事情聴取したいと言われたのだ。任意だから海月さんは来なくても良いよ、と言ってくれたけれど、全く関係ないとは私自身、言い切れなかった。 「じゃあ、また後で」 「うん」  私たちは別々の部屋に入る。  部屋には既に二人のスーツ姿の男性がいて、一人は入り口のすぐ脇に、もう一人は中央に用意された机に掛けていた。 「浅野海月さんですね?」  男は立ち上がり、私に座るよう(うなが)す。 「……はい」 「水川と言います」  そう名乗った中肉中背の彼は、一重の小さな目でこざっぱりとした印象を与えた。年齢が分からないが、四、五十代だろう。年季の入った手帳を広げながら、いくつか質問をする。 「それで、まずあの店」 「ドロシーズ、ですか」 「ええ、その店と、あなたの関係について聞かせて下さい」  関係と言われても難しい。金森とのことは話したくなかったし、祐二君とのこととなると尚更だ。 「お客、です」 「それだけですか?」 「以前にキャンドル教室に通っていて、それで祐二君……あの、店員の鳥井さんたちと顔見知りになりました」  水川は何か軽くメモをしてから、質問を続ける。 「オーナーの金森さんのことは?」 「知ってます。教室の時の講師をされてましたし」 「現在店を閉められているということですが、会われましたか?」 「いえ」  短い言葉なのに、答える時の私の表情をじっと彼に観察されるものだから、どうしても緊張気味に答えてしまう。 「店が臨時休業になってから、来られたことはありますか?」  祐二君の顔がちらついたが「いいえ」と答える。心拍数が少しずつ上がり始めた。 「昨夜はどうしてあそこに?」 「それは、鳥井さんから聞いて」 「一緒に来られたみたいですが、家が近いんですか?」  調べてあるのだろうか。  そもそも私から何を聞き出したいのだろう。一つ二つと嘘が増えていく度に、私はどうすればいいか分からなくなる。 「……たまたま、一緒にいたので」  たまたま。と繰り返して、水川はメモをする。 「鳥井さんに連絡をされた雨守さんのことは?」 「私が働かせてもらっているカフェの店長です」  ああ、なるほど。とメモを取る。 「その雨守さんと金森との関係については何かご存知ですか?」 「関係、というのは?」  以前雨守自身が話してくれたことは、知っていたとしても私の口からはとても言えなかった。 「いえ。特に思い当たることがなければ大丈夫です。それで、次はお店のことに関してなんですが……」  そう前置きして、経営状態が悪かったことやかなりの金額の借金を消費者ローンからしていたことなどを訊かれたが、特に知らなかったということで通しておいた。実際、私は祐二君経由で聞いたことしか分からなかったし、雨守やあの吉井という刑事から聞いたことも水川が話してくれたこと以上のものではなかった。 「よく分かりました。それでは」  と水川が立ち上がる。それに続いて私も席を立とうとしたが、ドアが開いて別の男が入ってくる。吉井だった。 「どうも」 「えっと、続いてあちらの吉井が、何か聞きたいことがあるそうです。もう少しお付き合い下さい」  そう言って水川は出て行った。  代わりに吉井が私の前に座る。 「どうしてあんな嘘ついたんです?」  いきなり何を言い出すのだろう。 「何が嘘なんですか?」 「だって八月三十一日に、金森と熱海旅行に行ってますよね?」  背中に冷水を掛けられたのかと思った。 「何も言えませんか? そうですよね。不倫旅行をしていた、なんて知られたくないですよね」 「あの、あれは……どうしてもと頼まれて」 「頼まれれば夫と娘がいる身でありながら、独身男性と二人きりで旅行をするものですか。私にはそういう感性がないので分かりませんが、そういうものなんですね?」  視線を逸して、私は何も答えないでおく。 「まあいいです。生きていれば、色々ありますからね。それよりも、鳥井祐二(とりいゆうじ)とはどういう関係なんですか? 同棲されてるんですか?」 「何を」 「同じアパートの住人から、最近一緒に住み始めたみたいだって聞いてます」  吉井は笑みを浮かべたが、まるでそれは「全て分かってますよ」と言わんばかりだった。 「どうして私のことなんか、そんなに調べるんですか?」 「ドロシーズの火災については放火の疑いがあります。それも、あなたが放火したんじゃないかっていうのが、捜査本部の見解の一つですね」  流石にその言葉には絶句した。私にそんなことできるはずがないし、何より動機がない。 「全然分かりません。何故なんですか?」 「火災保険が掛けてあって、あれって放火でも出るんですが、自分で火を付けちゃうと出ないものだから、関係者以外に火を付けさせるっていうやり方があるんですよ。それで、あなたが浮上した」 「動機は?」 「何かで脅されて、頼まれた……いくらでも理由なんてでっち上げられます」  私はてっきり祐二君のついでに事情聴取されているのだと思っていたけれど、どうやら私の方が聴取の本体だったらしい。 「どうやって火を付けるというんですか」 「時限式でした。最近は携帯電話で簡単に遠隔操作できるらしいですよ。技術部の奴らが面白そうに見せてくれましたよ」 「そんなことしません」 「ですよね」  からかっているのだろうか。私はつい机を叩いてしまいそうになった。 「私は浅野さんがやったとは思ってませんよ。でも、今回の件で金森と何か接触があったんじゃないかって思ってるんです。どうですか?」 「いいえ」  もし金森と出会えていれば、それこそあんな真似をしなくても祐二君の件をどうにかできた。  そうだ。  金森烈さえ、現れてくれていたら。 「どうかなさいましたか?」 「あ、いえ……。もう、いいですか?」 「もし金森烈から連絡があれば、必ずこちらに連絡して下さい。そうすればあなたの疑いも、鳥井祐二の疑いも、すぐ晴れますよ」  脅しだった。  まるでヤクザのやり方じゃないかと思ったけれど、私は何も言わずに席を立つ。  吉井はわざわざ立ち上がって先回りをすると、ドアを開けてくれた。 「お疲れ様でした」  頭を下げた彼に何も言わず、私は外に出て行った。  玄関を出たところで、祐二君が待っていてくれた。 「ごめんなさい」 「大丈夫ですよ。そんなに待ってませんから」  本当にそうだろうか。時間を確認すると少なくとも一時間くらい私は部屋に閉じ込められていたことになる。もう昼も近い。 「どこかで一緒に……」 「すみません。俺、すぐ仕事に行かなきゃいけないんで」 「あ、うん。そうだよね」  彼は笑顔を作ってから、右手を差し出す。 「何?」 「いや、その……今日帰ったら、もう海月さんは部屋にいないんだなって思って」 「……うん」 「だから、握手を」 「わかった」  私は彼の手を掴む。 「お世話になりました」  その手をしっかりと握り締めてから、彼は頭を下げた。  ああ、これで本当に終わりなんだ。  そんなトドメを刺された気分で私は顔を上げた彼を見ると、 「合鍵、ポストに返しておくね……」  そう言って、少し冷たい手を離した。
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