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十二月も数日で終わってしまう。
海月さんと回ったデパートには会社帰りのスーツ姿の人たちが溢れていた。仕事収めを終えた人間だろうか。その中に、彼女の横顔は見つけられない。
「あの、すみません。この女性なんですけど、見かけませんでしたか?」
スマートフォンに撮った海月さんの笑顔を、化粧品コーナーで口紅を勧めていた女性店員に見せて尋ねる。けれど軽く首を振られて「ごめんなさい」と返されるばかりだ。
「そうですか。ありがとうございます」
礼を言っては、また次の店員を見つけて尋ねる。
仕事の合間にそんなことを繰り返しては、落胆した。
警察だって遊んでいる訳じゃない。もっと多くの人手を使って彼女を探しているだろう。けれど刑事たちからは俺に何一つ連絡が来なかった。
面会謝絶だという金森は、まだ意識が戻っていないのだと吉井刑事から教わった。
その件に関しては昨日、アパートを梁が訪ねてきたけれど、金森の身柄が警察の監視下にあると知ると暫くは世間から身を隠すと言って逃げて行った。
新宿駅前までやってくると、みぞれ混じりの雨が降り出す。
と、電話が鳴った。
期待したけれど、仕事の連絡だった。
自分のスマートフォンを捨てていった彼女が、電話番号をわざわざ覚えていてくれるなんて淡い期待はさっさと捨ててしまえばいいのに、未だにその音に、その声に期待してしまう。
「……はい、分かりました。現地集合ですか?」
年末でも構わずに解体の仕事は入っていた。
今日もまた食べ飽きたコンビニ弁当で、空腹を満たしては、無心で破壊する。
そんな日々に俺は、そろそろ疲れていた。
「結局病院で年越しなんですね」
手術が来月に延期になった雨守を見舞いに訪れたのは、大晦日の一日前だった。
「ここなら寂しくないから、ある意味で僕みたいな人間には良いかも知れません」
「そんなこと言って、そろそろ店が恋しいんじゃないですか」
「店よりは、店に来てくれてた人たちのことがね」
雨守はそういう人だった。だから誰もが彼を慕う。金森は何故もっとこの人のことを頼らなかったのだろうかと、まだ意識が戻らないことを話しながら、ぼんやりと思った。
「そうか。彼はプライドの高い人間だったからね。きっと自分で自分を追い詰めてしまったんだと思うよ。それに、僕らでは分からない事情を抱えていたのでしょう。いつも、何かを隠しているようなところがありましたから」
俺にとってはそんな部分が魅力的に映っていたのかも知れない。
「ところで浅野さん。まだ見つかりそうにないですか」
「はい。警察からも連絡なくて」
「無茶なことはしない人だとは思うんですけどね。ただ」
雨守は窓の外を見やりながら、首を振る。
「いえ。そうですね。そこまで弱い人じゃない。何か覚悟があってのことだったのでしょう」
一度言おうとしたものを呑み込んでから、そう俺に微笑した。
「ええ。そうですよ」
俺もそう答えたけれど、胸のどこかには言葉にできない不安が渦巻いていた。
あけましておめでとうございます。
というLINEを送る相手もなく、遠くで除夜の鐘が鳴るのを聞きながら眠りに就いた。
何も進展がないまま正月を終え、仕事の合間に彼女を探すことも徐々にできなくなっていく。
このまま、また自分の前から消えてしまうのだろうかと思っていた。
そんな俺に連絡が来たのは、成人の日の前のことだった。
「……君が、鳥井祐二か」
今までに何度か浅野さんの自宅に電話を掛けたが、全て留守番電話だった。何もメッセージは残さなかったけれど、娘さんあたりにでも聞いたのだろう。海月さんの夫の声だった。
「明日、時間が取れるか?」
「午前中は仕事なんで、午後からなら」
「分かった。それでいい。うちに、来てくれ。話がある」
分かりました。
そう答えてから、電話を切る。
何を言われるのだろう。
それでもいつかは、と、覚悟をしていたことだった。
翌日、仕事を終えるとコンビニでおにぎりを買って軽く食べ、その足で電車に乗った。
約束の時間は二時だったが、とてもその時間まで落ち着いていられそうにない、と思ったからだ。
一時過ぎにはマンション前に到着してしまい、どうしたものかと歩いては四階を見上げていたが、その姿を見つけたのか、電話が鳴った。
「さっさと上がってきなさい」
保広からだった。
俺は深呼吸してから、エレベータに入る。
数字が上がっていく間に、旦那さんに対してどう説明しようかと思案していたが、何も言葉が浮かばないうちに四階に着いてしまった。
ドアが開くと、そこにはスウェット姿の男性が仁王立ちになっていて、それが保広なのだと思い当たるよりも早く、彼は俺の右頬を思い切り殴りつけた。
呻き声を上げて背中からエレベータの壁に激突する。
「お前の所為でうちの海月ちゃんはおかしくなったんだぞ。それなのに何考えてこんなとこに平気で顔出してんだよ!」
明らかに怒っていた。電話の声からはもう少し大人な男性かと思ったが、転んだ俺の襟首を掴んで、相手は更に殴ってくる。
「海月は知らない男を連れ込んでやらせるような、そんなはしたない女じゃないんだ! 俺がいるのに、他の男とどうこうなんてとても考えられない、そういう清楚な女なんだ! それが何でこんなことになるんだよ! お前の所為だろ! お前が海月を狂わせたんだろうがよ!」
腰の入ったパンチではなかったが、闇雲に打ち付ける素人のそれは当たりどころもバラバラで、顔の前に手を出さないと目に直接拳を入れられそうになる。
「お前は分かってんのか?! 他人の家族を壊したんだぞ! 平穏を犯したんだぞ! 澄ました顔しやがって! 何か言ってみろよ! こら!」
エレベータは扉を閉める。
狭い空間で、馬乗りになった保広が泣きながら殴っていた。
俺はただされるがまま、その罰を受けていた。
そうだ。
俺が悪い。俺の所為で、彼女はこんな目に遭っているんだから。
「もうやめてよ!」
女の声がして、ドアが開いた。
「灯里。けどな、こいつが」
「元はと言えばお父さんが悪いんでしょ! それを祐二の所為にして情けない。大事な相手なら自分でちゃんと手を繋いでおきなよ? 逃げないようにぎゅっと握っててあげなよ。放っておいても大丈夫な女の人なんていないんだよ?」
そこに立っていたのは、彼女の娘、浅野灯里だった。
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