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2. 失恋ガールの甘やかしチーズリゾット
「ヒロインなんて、クソ喰らえだぁ…… 」
そう叫んだところで、かろうじて繋ぎ止めていた意識が泡のように弾け私の記憶はぷつりと途切れた。
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コツッと頭を軽くノックされ、作業途中のパソコン画面から顔を上げると、須藤くんが呆れたような顔をして立っていた。一瞬、自分の現在地が分からず口籠る。
きょとんと固まった私を見て、須藤くんはクッと小さな笑いをこぼした。
「新人教育、大変なのも分かるけど、棍詰め過ぎ。もう昼だぞ 」
ああ、そうだ。ここは会社だった。私はいつの間にか熱中しすぎてどこかに意識が飛んでしまっていたのかもしれない。
須藤くんの肩越しに壁の時計を見やると、仰る通り、ランチタイムを十分ほど過ぎていた。周りの席もちらほらと空席が目立つ。午前の終業のチャイムにも気が付かなかったとは。
「社食? それとも、外、行く? 」
「外にしようか。天気もいいし 」
ビルのエントランスをくぐった途端、まだひんやりとした北風をわずかに孕んだ春風が、柔らかく頬を撫でていった。会社に籠るには勿体無いくらいの快晴だ。パソコン画面を見続けたドライアイに日差しが染みる。
「新人教育、大変そうだな 」
「大変だけど、楽しいよ。川原さん、真面目でいい子だし 」
毎年、うちの会社では二年目の社員の中から各部署で数名、新卒の新入社員向けにの教育係が選ばれる。選定基準はよく分からないけれど、今年は私にもお鉢が回ってきたというわけだ。
そこで私が受け持つことになったのが川原 莉子さんだった。一見するとその外見も相まって清楚なお嬢さんという感じだが、打ち解けてみれば人懐こくて愛されヒロインの代表のような人だった。
「川原さんなぁ。俺の周りでも、可愛いって言ってるヤツ何人かいるよ。あ、俺は違うからな 」
須藤くんはじとっとした私の視線に気づき、慌てて手を振った。だって、彼氏が他の女の子を褒めるのはやはりいい気はしない。それもまだお付き合いが始まって一ヶ月に満たないのだから、これくらいのヤキモチは多めに見てほしい。
「分かってるよ。信じてますよ 」
言葉にほんの少しだけ棘を残してそう返すと、須藤くんはほっとしたような表情で私の右手に指を絡めた。
私が須藤くんの指を握り返した瞬間、カシャっとシャッターを切るような音が脳裏に響いた。気がつくと、私は薄暗い会社の廊下を一人で歩いていた。
おかしい。一体、何がどうなったと言うのか。私は須藤くんとランチに行く途中ではなかっただろうか。でもなぜかこの場面には既視感を覚えた。
自分が置かれた状況が理解できないながらも、私の足は歩を緩めることはない。それに、私はなぜか自分が須藤くんの所属する営業部に向かっていることを知っている。
ほどなくして、薄暗い廊下の突き当たりにぼんやりと明かりが見えた。すでに終業時刻を過ぎているからか、日中よりも数トーン暗めに落とされている。
もうすぐ須藤くんに会えると言うのに、ドクンドクンと不安な気持ちが鼓動を包み込み始める。妙な汗が握りしめた手のひらにじわりじわりと滲んできた。
出入り口のドアの前で足を止めて、息を一つ吸い込み、ゆっくりと吐き出した。そしてドアノブに手をかけ、平静を装ってドアを引いた。
その瞬間、扉の隙間をこじ開けて、どこかに身を潜めていた記憶の断片がまるでマジシャンが操るトランプのカードのようにバラバラと勢いよく襲いかかってきた。思い出したくない光景が3D映画さながらに眼前に迫ってくる。
須藤くんの雄めいた表情に、頬を赤らめて彼を見つめる川原さん。
彼女のブラウスははだけ、彼女に回された彼の腕に力がこもる。
私は一心不乱に両腕を振り回し、襲いくる記憶のカードを払い続けた。それでも、これでもかって言うくらいに、カードは襲いかかってくる。
そしてとどめを刺すべく、私を真剣な面持ちで見つめる須藤くんがカードの上に映し出された。
『真紘、ごめん……。俺…… 』
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