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「うわぁ 」
ガバリと勢いよく身を起こし、襲いかかってくる記憶を振り払っていた両手が宙を掴んだ。目を開けた瞬間、ぐわんと視界がぶれ、私は頭を抱えた。
「気ぃ、ついたか? 」
今思い出したかのように痛み出した頭の上に、少し掠れた低音ボイスが降ってきた。
おそるおそる声の方に顔を向けると、私はソファに横たわっていたようで、足元の先に男性が一人、パイプ椅子に座っていた。
歳は私と同じか少し上と言ったところだろうか。無造作に跳ねた癖のある黒髪は、毛足の長い猫を思わせる。けれどそこから覗く瞳は、吸い込まれそうなほど深く澄んだブルー。カラーコンタクトにしては、彼の顔に随分と馴染みすぎているような気もする。
私は息を整え、しどろもどろに声を発した。
「あの……、私…… 」
「うちの店の前で倒れてた。普通に寝息立ててたから、急アル中の心配もないだろって。んで、ここはうちの店のバックヤード 」
男性は一ミリも表情を変えずに矢継ぎ早に言葉を吐き出すと、前髪をかきあげながら気だるげに立ち上がった。ジーンズに無地のパーカーというラフなスタイルにも関わらず、その長身のせいかモデルか何かのような出立ちに仕上がっている。
「あ、あの…… 」
「そろそろ、乾燥終わる頃だから。あなたの服 」
彼はそれだけ言うと、さっさと部屋を出ていってしまった。そう言われてはたと気づく。私は、どう考えても自分にはオーバーサイズなトレーナーをまとっていた。そして口の中がどことなく酸味を帯びているような気もする。
さぁっと血の気が引いていく音が聞こえた。自分の状況、そして彼の証言すべてを掛け合わせると、自分がしでかしたであろうことが少しずつ輪郭を帯び始める。
ソファの上で、私が熱したり冷めたり、おろおろしたりあたふたしているうちに彼が戻ってきてしまった。その手には、見覚えのあるミントグリーンのピンストライプのシャツが握られていた。
「まだ少し湿ってるかもしれないけど、とりあえず、汚れは取れてるはずだから 」
「す、すいません…… 」
受け取ったシャツから、柔軟剤の香りだろうか、柔らかな匂いがこぼれ、余計に申し訳なさが込み上げてくる。
「本当に……、すみません 」
私は彼に向かってガバッと頭を下げた。
その時だった。いや、その反動だったのかもしれない。
ぎゅるると、地の底を這うような音が自分の内側から轟いた。
私が胃の辺りを抑えながら慌てて顔を上げると、今までニコリともしなかった彼の頬がわずかばかり緩み、私と目があった途端に、ぶはっと、盛大に吹き出した。
もうそこからは、彼の口元からはビー玉をぶちまけたように笑い声がとめどなくこぼれ出してくる。
とうとうお腹の辺りを苦しそうに抱えて、ヒーヒーと笑いを堪えながらうずくまってしまった。
「あの……、ちょっと笑いすぎじゃないですか? 」
笑いこけている他人を見ていると、こちらは逆に冷静になってくるようだ。さっきまでの罪悪感は、笑い悶える彼を見ていたらだいぶ薄まってきてしまった。
顔を上げた彼は、まだ苦しいと言うような顔で目尻に溜まった涙を指で拭った。
「悪い、悪い。じゃ、お詫びに何か作ろうか。終電もだいぶ前に終わってるしな 」
彼はそう言って立ち上がると、クックっと小さな笑い声をこぼしながら店へと続くドアを開けた。
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