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3. 失恋のハートも駆け出す抹茶モクテル
どんな顔をして訪ねて行けば良いのか結論を出せないまま、あれから数週間が経ってしまった。
日常に戻って我に返り、自分のしでかしたことへの羞恥心がむくむくと膨らんでしまった結果、私は刻々と過ぎ去る時間に流され続けていた。
「絶対、お礼に行った方がいいって 」
未華子はそう言って、唐揚げを口に放り込んだ。唐揚げの味になのか持論になのかは分からないけれど、咀嚼しながらうんうんと満足そうに頷く。
確かに社食の唐揚げは絶品だ。カラッと軽く揚がった衣に、鶏肉から滲み出る肉汁のジューシーなことと言ったら。
「真紘の話だと、結構なイケメンだったんでしょ、その人 」
イケメンじゃなかったらお礼に行かなくても良いのかと言い返しかけて、私は慌てて言葉を飲み込んだ。
「あんな奴、早く忘れてさ。失恋には新しい恋って言うじゃない 」
「うーん、そういうのはしばらくいいかな 」
自分の恋愛はしばらくご遠慮したいと思っている私にとって、すぐにそれに結びつけたがる未華子の話は耳が痛い。でも、彼女が心配してくれている気持ちも分かるから無碍にもできない。
「須藤くんのことはもういいの 」
正直なところ、彼のことは今でも胸の中でモヤモヤと燻り続けている。ただ、あの夜を境にそこに灯っていたおどろおどろしい炎はぼんやりとしたものに変わり、泣き笑いをしているかのようにゆらゆらとゆらめいているだけだ。
社内で彼の姿を見かけると、まだ少しモヤモヤしたものがチラつき、ざらりとしたものが感情を撫でていく。けれど、彼が視界から消え数十秒も経つとだいぶ薄れた日焼けの跡のようにわずかにヒリつくくらいにはなっていた。
「ただ、怖いんだよ。好きになって、またあんな気持ちを味わうのが 」
「それも分かるけどさぁ。本来なら楽しいものよ、恋愛って 」
大学時代からの彼と五年目に突入し、今だにラブラブな人の言うことにはとてつもない説得力がある。
けれど、今の私の心にはどうにもこうにも響いてこない。未華子の言う、楽しい恋をしている自分の姿なんて今は想像すらできなかった。
兎にも角にも、受けた恩は返すのが礼儀というものだ。とは言っても、結局、お礼のために再訪する決心がついたのはそれから二度ほど週末を跨いだ後だった。
前もって会社帰りに買っておいた菓子折りの紙袋を手に、自宅の最寄駅から地下鉄に乗った。通勤経路の乗り換え駅で降り立ち、"あの日の朝" の道程を逆走すればいい。
駅を出てすぐのバスのロータリーを抜け、オフィスビルが立ち並ぶ大通りに沿って直進する。土曜日のせいなのか、人通りはまばらだ。オフィスビルに入る店舗も閉まっているところが多い。
大通りを百メートルほど進むとレトロな丸い形のポストに差しかかる。その角を曲がって小道に入り小さな坂を下ると、小規模な店舗が軒を連ねるこぢんまりとした商店街になっていて、その入り口にあの宵闇をそのまま映し出したようなビルは建っている。
あの夜、私はあの状態でどうやってあの店に辿り着いたのだろうか。普段降りない駅で降りてみようって思って、目についた居酒屋に入ったところまでは覚えているけれど、それ以上はいくら頭を捻ってみても思い出す気配はなかった。
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