かみさま風情

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かみさま風情

「私はかみさまです。なので、きみのお願いを叶えてあげましょう」  重苦しい身体をなんとか引き摺って扉を開けたら、見慣れない人物が立っていた。  たぶんそれにショックを受けたんだろう。ボクは、意識を失った。  今日も眩暈が酷かった。不審者に抵抗する力もなかった。バランスを崩して、廊下にぶっ倒れそうになる。そこで、意識がぶつりと途切れたのだ。  ああ、厄日だ。せっかく、少しはゆっくりできる一日だと思ったのにな。    *  ……きっと、これは痛いんだろう。  最早他人事だった。どうだって良かったんだ。殴られて蹴られてものを投げられて熱で焼かれて、痛くないはずがない。  でも、どうだって良い。もう、感覚が薄れていて、よく分からない。ボクにできるのは、起こっていることを受け入れるだけだ。ボクに突き刺さる激昂、金切り声を受け入れて、この痛みみたいな何かも受け入れて、冷たい床で眠ることも治らない眩暈も美味しくないご飯も受け入れれば、いい。  それでいい、のに。いつまでも苦しくて、痛い。 「……くん」  声が聞こえる。聞き慣れた声ではない。 「満幸(みつゆき)くん?」  でも、その声は、聞き慣れた声ではないくせに、やたらとボクのことを安心させた。 「あ、起きました? 勝手に借りていますよ」  目を覚ましたら、そこには先程の不法侵入者がいた。先程までの光景は、どうやら夢だったらしい。  こちらをじっと見つめてくる視線は、存外ぶしつけではなくやさしかった。ボクのぼさぼさの髪に、そっと指を通している。それに抗うべきなのに、ボクは何にもできずされるがままにしていた。どうにも頭が重いし、身体を動かすのがだるい。だるいんだから、仕方ない、と誰にでもなく言い訳をした。 「酷い熱ですね。きみ、休んだ方がいいですよ」  ぼやけている視界の中、自分にスプーンが近付けられているのが分かる。頭の中がからっぽで、何かをろくに思考することができなかった。唇を薄く開くと、そこに何かがゆっくり流れ込んできた。  ……これ、おかゆ? なんだか、すこぶるおいしく感じる。 「勝手に家のものを使ってはなりませんので、私の力で用意しました」 「……あんたの、ちからで?」 「ええ。かみさまなので」  得意げに言い切られた言葉に、何かツッコミを入れる気力もなかった。そう、と適当な返事をして、ボクはその人の手による食事を続けた。おそらくたまごがゆだ。何か力を入れずとも、するりと身体の奥に入ってくれるので、食べやすかった。ちゃんと嚙まなきゃいけないものだと、たぶん食べられずに吐いてしまう。それが分かったのも、かみさまのちからってやつなんだろうか。  本来は不法侵入者を追い出さなきゃいけないんだけど。でも、ボクは今身体が動かないから。だから、その人が食べさせてくれる状況に、その人が与えてくれる沈黙に、甘えることにした。  ボクがおかゆを食べ終わった後、自称かみさまはボクの額にてのひらをあてた。霞がかっていた意識がようやっと覚醒してきたので、ボクは目の前の自称かみさまを観察してみることにした。  ふわりと柔らかそうな、腰まで伸びた長い髪は、抜け落ちたみたいに色が薄い。端正すぎる顔は浮世離れしていて、触れたら溶けそうだとか、わけの分からない感想を抱く。ボクに向けられる二つの瞳は気味が悪いほど透き通っていて、本当にこの世のものじゃあないみたいだった。こんなこと考えていたら失礼なんだろうけど、男性か女性か分からなかった。顔立ちや体格からも、一定の調子の声からも、ボクには判断できなかった。 「さて、なにかお願いごとはありますか?」 「まだ言ってんの?」 「もちろん」  ため息を吐いたボクを無視して、自称かみさまは続ける。 「たとえば、ケーキが食べたいとか、旅行に行きたいとか、ゲームが欲しいとか? まあ、かみさまの力にも多少制限があるので、できないこともありますけどね」 「だめじゃん」 「仕方ないでしょう。皆殺しとか世界征服とかは、色々とタブーなんです」  冗談か本気か分からない声色と共に、自称かみさまは平坦な笑みを零した。喜怒哀楽の分かりづらい笑い方をする。 「べつに、何もない。帰ってください。これでいいですか」 「駄目ではないですけど。せっかくかみさまが訪れたんですし、わがまま言ってもいいんですよ」  ボクはちょっとだけ唸ってから、簡単な質問をぶつけてみた。 「お名前は?」 「名前を隠しているタイプなので、お好きなように呼んでくださいな」 「なんだそりゃ」  思わず呟いてしまったが、自称かみさまはボクの言葉など気にもせずにこにこしている。どうやら、今の質問はお願いごとにカウントされなかったらしい。  それにしても、名前か。ネーミングセンスなんてないけど、自称かみさまってのも呼びづらいしな。こいつだって、自称かみさまとして活動しているのなら一つくらい名前が欲しいだろ。 「じゃあ、あんたのことおかゆって呼びます。食べさせてくれたから」  自称かみさま――今おかゆになった――は、ぽかんとした顔で首を傾げた。ああ、この顔はいいな。間抜けな阿呆面。 「いいでしょう。名前に頓着はありませんから。今日から私はおかゆです」 「そっか」 「はい。ところで、お願いごとはありませんか?」  別にない。  いや、違うか。別にないというより、思いつかないんだ、何も。いっぱい考えたって、思いつかない。ケーキを食べたい? ケーキっておいしいんだっけ。腐ったケーキを出されてお腹を壊したことならある。旅行って楽しいんだっけ。したことがないから想像つかない。ゲームって、欲しいのかな。昔あったけど、壊されて捨てられたから、もらったって意味がない。  ……本当に、何にも浮かばないや。なんだよ、願いごとって。  目を閉じた。わけ分かんない。ボクには願いごとなんてないから、別の誰かのとこに行ってよ。  強いて言うなら、それが願いだ。
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