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雅史の目を覚まさせたのは聞き覚えのあるチャイムの音色だった。
はっとなって身を起こし、あたりを見回す。
すると雅史は、古びた木造の教室の中にいた。机に突っ伏して眠っていたようだ。
高校生くらいの学生たちが帰り支度を整えているところだった。
――どういうことだ……?
状況を把握しようと、自分の姿を確かめる。すると驚いたことに、雅史自身が詰襟服をまとっていたのだ。
全身から嫌な汗が吹き出す。
とにかくここはどこなのか確かめなければ。
話しかけられそうな生徒を探すが、皆、何人かで固まって楽しそうに教室を出て行く。
切り出すタイミングを逸したと思った。けれど背後から椅子を引く音が聞こえたので振り向く。
後ろの席には、女子生徒がいた。机の中を覗き込んで荷物を整理している。
金髪のふたつおさげに派手な朱色のマニキュアが見えた。遠慮がちに声をかける。
「あの、すいませんけど――」
「あん?」
声に気づいて顔を上げた。瞬間、雅史は絶句した。
信じられなかったが、見間違うことなどあるはずがない。
それは紛れもなく、雅史の妻の、若い頃の姿だったのだ。
「繭……?」
思わず彼女――妻の名前を呟いていた。彼女は驚いたように顔を歪める。
「あぁ? なに偉そうに呼び捨てしやがってんだよ、この転校生。しかもあたし名前言ったっけ?」
「あ、いや、だって、前から知ってるし……」
「うぁ、なんだこいつ、気持ち悪ぃな、変質者かよ」
汚いものを見るような目をして露骨に身を震わせる。
「僕はストーカーじゃないってば」
「は? 何? スカート? パトカー? わけわかんないんだけど」
「ストーキングする奴のことだってば」
「は、ストッキング? やっぱ変態だろ? おまえ、二度とあたしに話しかけんな!」
その人格は雅史の知る繭とはあまりにもかけ離れていた。昔のギャル風の身なりだったし、言葉遣いも粗野だ。
雅史は、ここは妻が下品なパラレルワールドかよ、と突っ込みたくなった。
ただ、雅史は現にこの不思議な現象を体験している。理由なく起こりえるはずはないことだ、きっと意味があるのだと解釈した。
だから雅史は若かりし頃の妻――繭にまっすぐに向き合い、こう伝えた。
「僕はきみに会うために、ここにいるはずなんだ」
繭は目を見開いて驚きをあらわにした。じわじわと表情が青ざめてゆく。制服から出た腕の肌が粟立っていた。
「おっ、おっ、前やっぱり気持ち悪い――っ!」
黒水晶の瞳の中には、不審者をうかがうような疑念の色がありありと浮かんでいた。
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