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通学電車の中で絵を描いている人はいない。
昼休みの教室でも、放課後の図書室でも、街角のどんな場所でも。
ならばどこで鉛筆を握ればいいのかと考えたとき、美術室は適した場所だった。背後から家族に目視されるのは気恥ずかしいし、落書きをしたノートを級友に覗かれてはたまらない。下手の横好きならばなおのこと。
そう、淡々と思案をめぐらせながら、美波あきらは美術室を目指していた。
放課後の美術室はアトリエで、教室では目立たない彼女たちだけがつどう部室だ。
美術部の部員は、常日頃、イーゼルに画板を立てかけて互いに背を向けながら制作に没頭する。会話はない。鉛筆が画用紙を撫ぜるささやかな摩擦音、たまにくちゃくちゃとパンを食む咀嚼音が聞こえてくる程度。
実習棟の三階からではグラウンドで白球を追う生徒たちの喧騒も遠く、やる気のない顧問は週に一度顔をみせるだけで多くは語らない。扉が開かれないかぎりは、そこは常に静謐な楽園だった。
だからこそ、足取りは軽い。教室に向かうよりもずっと。
そしてこの日、夕刻の部室に足を踏み入れたのは、あきらひとりだった。
黄昏時――。重たい鉄扉を開いたさきには、色とりどりに汚れた机がずらりと並んでいる。
黒板は一面かぎり、教室の背面には隊列を組んだ石膏像。音楽室のハイドンたちはどこかよそよそしい感じがするが、美術室のブルータスやヴィーナスとはすっかり顔馴染みだった。
故人は画竜点睛を欠くとかいうが、彼らの瞳に光が宿ってはかなわない。物言わぬ首像たちから無言の圧力を感じとりながら、心はすでにカンバスのむこうへと軽やかに跳躍する。
準備室から絵具ケースをもってきたらイーゼルの準備からはじめて、ぺんてるの筆洗器(バケツ)に水を汲もう。描くのは、そう――。
と、空想に耽るあきらの視界にソレは飛び込んできた。
ピエタの首だ。
ミケランジェロ作の聖母子像から首だけ切り落とした石膏像。目を伏せてうっそりと微笑むマリア。
あきらの意識を奪いとったのは、ピエタの顔そのものではない。彼女の頭蓋をおおうベール隠すようにして、一枚の白い紙切れが貼りつけられていたのだ。
四辺を折り畳まれたそれは、ノートの切れ端のように見える。美術選択の生徒たちの忘れ物だろうか。そう、疑問を感じたときにはすでに手が伸びていて、内容をあらためていた。
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