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それからしばらくは散々だった。
真木と相談を重ねて、人体模型の生首はひとまず美術準備室に隠すことした。
ダンボールが余っていたので、緩衝材を巻きつけて厳重に包み、鍵のかかるキャビネットに収納した。準備室の備品の管理は、美術部員に一任されている。鍵の管理はあきらが買ってでることにした。万が一にも見つかってはならない。
念には念を入れて、美術室の出入り口も塞いでおく。
厳重に施錠をしてから、体育館に戻ると、夏織はすでに帰宅していた。
あきらたちが美術室に戻っているあいだに親の迎えがきたようで、彼女に美術室での騒動について話すのは、明日以降にまわすしかなかった。
光梨のプライバシーもある。ひとまず、生首模型の一件は、あの場にいた三人の秘密にすることにした。光梨はひどく憔悴していたが、あきらが言葉少なになだめるうちに、なんとか落ち着きを取り戻してくれた。
学校まで迎えにきた車に乗る頃には、表面上は平気そうに見えた。何事もなかったかのように装う光梨の姿は痛々しく映ったが、家族の前で気丈に振る舞う彼女を呼びとめる理由はない。
午後八時を越えてなお、体育館に残ったのは、あきらと真木と乙戸辺の三人だけだった。デリバリーで届いたテイクアウト商品が晩餐だ。
ポテトを齧りながら、乙戸辺が席を外した機会を見計らって、真木に尋ねる。美術室では聞き捨てならないことを言っていた。
「真木。ジェスターの呪いってなに」
「いや、あんなにこれ見よがしな犯行声明ある? てか、〈テラリウム〉で噂になってんのよ。ジェスター様は恋する者の味方だから、恋をしない者には天罰を下すって」
そんなふざけた天罰があってたまるものか。
語気を強めて反論したくなるをのグッと堪えて、あきらはつとめて冷静に聴こえるように声を潜める。
「それが本当だとしても……許しがたいよ。美術室にあんなものを置いた犯人……」
「だろーね。怒るのも当然か。ちょっと妬けたな、あきらが名鳥さんのことあんなに大事にしてるなんてさ」
「光梨とは、中学からの付き合いだから」
「おひとりさま同盟の仲間だからでしょ? あんたクールに構えといてちゃっかりしてるもんなー」
そんなことはない。二年に上がってからは特に、クラスでは浮いているほうだ。美術部の仲間と話さない日は、会話をかわしたのがオンライン上のネモだけということも日常茶飯事だった。
一方で、真木は学内でのポジションを確立しているようにうかがえる。
教室でも合同授業でも学校行事の最中でも、相手が女子でも男子でも、気軽に話して打ち解けてしまえるようだ。世渡り上手な上に、人好きのする性格だ。声をかける生徒は多いし、彼女がひとりきりで過ごしているのは見た事もない。
「真木とはちがうから」
そうだ、真木はわからないだろう。
自分にとって数少ない大切な相手が、それも半身とも呼べるちかしい存在が、謂われなく傷つけられる感覚なんて。黙っていられようはずがないのだ。
それに〈テラリウム〉の噂が真実ならば、標的になっているのは光梨だけではない。おひとりさま同盟の詳細までもは知らずとも、あきらと光梨が中学からの幼馴染みで、距離の親しい仲だと知っていたとしたら――。
「あ、迎えきたわ。こっちでーす!」
顔をあげると、真木が大きく手を振っていた。
体育館の出入り口では、妙齢の女性がにこやかな微笑みを携えて手を振っている。身内だろう。極彩色のペイズリー柄がプリントされたフレアスカートが、遠目で見ても禍々しい。
「じゃあね、あきら。お先!」
軽やかな転身だった。待ち人のもとへ足早に駆けていく真木の横顔は嬉しそうで、彼女は美術室での事件のことなんて歯牙にもかけていないのではないかと疑いたくなる。
それからしばらくして、男子トイレに行っていた乙戸辺が戻ってきた。彼はあきらに向けてすまなさそうに詫びて、「おれもそろそろ帰るわ」と告げて、床に散らばったままのカードゲームを片付け始める。
すっかり冷めたマックのポテトをつまみながら、あきらはひとり黙然と教員たちのアナウンスを待っていた。学校から家までは徒歩圏内だ。許可が下りるならば一刻も早く帰りたい。
乙戸辺が消えてから十分ほど膝を抱えていると、体育館に残された生徒については、学年主任の教員が自家用車に乗せて家までおくってくれることになった。
結局、あきらが家に帰り着いたのは九時過ぎのことだった。
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