Case.1 人造乙女殺害事件

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 スマートフォンを確認するとネモから連絡が届いている。昨夜はお互い捜査に進展があったら落ち合うつもりで〈テラリウム〉を離れた。海底から送られてきた文面は簡潔だ。  ネモ:これをみて。  @jester  Title:水棲少女  母なる青は彼女が為。無垢なる彼女に報いるため。ピエタは青くなければならない  投稿にはまたしても写真が付されている。  クリアケースに詰められた状態で映り込んでいたのは、ピエタの首だった。背景は暗幕に覆われたように暗い。漆黒の闇の中に浮かぶ、鉱物からけずりとった肌膚(きふ)。  ――これは、ひとつの芸術作品だ。  透明な容れものは人工的な色味を帯びた液体でたっぷりと満たされており、ピエタの肌を青白く染めていた。その色合いがいかにも玄妙さを帯びており、ピエタ像の造形がもつ虚構じみた美を引き立てている。 「たったいま情報が増えた」  真木に伝えると、彼女は顔色を一転させて飛びついてきた。スマホの画面から顔を上げた真木の瞳孔は凍りついている。 「ねえ、あきら。これさ、ひょっとしてジェスター様からあたしたちへの挑戦状じゃない?」 「盗んだのは、ジェスター?」 「こうなったらもう考えるまでもないでしょ。やっぱりジェスター様だよ。いるんだよ、この学校に。あのカリスマみたいなアカウント主! ほらこのカードだって!」  真木が胸ポケットから取り出したのは、一枚のカードだった。  昨日、美術室で見つけたトランプだ。赤と青いの幾何学模様の裏面に、表には嗤う道化師の図案。  あきらはカードを受け取り検分する。これが犯行声明だというなら、カードには何か仕掛けがあってもいいはずだ。そうと信じて、手に取ったカードをしげしげと観察していると違和感に気づいた。  ……なんだろう。  形も大きさも、コンビニや百円ショップで市販されているトランプと変わらない。ジョーカーだ。山札から一枚だけ抜け出てきたワイルドカード。  けれども、道化師が描かれた片面は、触れると指先にわずかに貼りついてくる。  はらりと視界に落ちてきた前髪を掻き上げ、あきらは意識を研ぎ澄ます。染めようと試みたこともない黒髪は、ストパーをかけるまでもなくまっすぐだ。額にかかる髪を耳にかける。顔の輪郭を指でなぞるあいだ、長いままは邪魔だ、なんて感じとる。  ――ピエタは青くなければならない。 〈テラリウム〉に投稿された写真から察するに、盗まれた石膏像はジェスターのもとにあるのだろう。その目的がこの画像。青く染められたピエタ。  石膏像を染め上げる、群青の色彩。どうして、青なのだろう。  ピエタ。その全身像はキリスト教の聖母マリアを象った彫像だ。その名を冠する彫刻の中でも、とりわけ高名なミケランジェロ作の「サン・ピエトロのピエタ」から首だけ削ぎ落としたものが、美術室には置かれていた。  当然、レプリカだ。備品として市販されている石膏像で、それこそ一品ものの芸術品ではないはず。 「あ、そっか……」  ふと、閃きが降りてきた。  ――青は聖母の色だ。  ルネサンス期よりもさらに昔、海を渡ってきた鮮やかなブルーの顔料に魅了され、中世ヨーロッパの画家たちは、聖母のマントを青く染めた。  キリストの母であるマリアの象徴として広まるととにも、市民階級からの人気を得た、神秘の色。ミケランジェロが描いた絵画でも、聖母マリアは青い布をまとって描かれる。  もし、あきらの推理が正しいのだとしたら。犯人は――。 「美波いる? あ、真木もいる」  考え込んでいたら、ふいに肩を叩かれた。  反射的に隣をうかがうと夏織がいた。あきらたちを訪ねて、彼女のクラスからA組まで足を運んできたらしい。 「夏織」 「なにそれ?」  夏織はおもむろにあきらの手からカードを奪いとる。 「……変な写真」 「え?」 「それ写真でしょ。裏面はよく加工されてるし、表も綺麗に印刷されてるから、一見ふつうのトランプにしか見えないけど。これ銀塩プリントされてる」 「な、なんでわかるの?」  真木が尋ねると、夏織はそのまま専門用語を織り交ぜながら断言する。 「まず色が違う。彩度と明度。あと表面の手触り。てかこの印画紙、最近どっかで見たな。……あ、わかった。写真部の部室だ」  芸術家は決まって目がいい。  女子高生画家として、ネットメディアの取材も受けたことがある花岬夏織の才能と描画力はお墨つきだった。  こうして彼女がたまに見ている世界を言葉に落とし込めるとき、あきらはその視点の差異に驚かされてきた。レベルが違う。見ているものが違う。  しかし、今日はその存在に感謝したかった。  夏織が言うなら、信じられる。 「夏織。それ、まちがいないよね」 「あたしを疑うわけ?」  真木と顔を見合わせると、彼女の口元には苦笑いが浮かんでいた。  おそらく、あきらと同じように、結論に至る過程で彼女もまだ迷っている。だってそれを認めたら、選ばなければいけない。――自分が誰の味方なのか。  何事も口数の多い彼女が、このときは言葉を失うのを見守って、はじめて気持ちを共有できた気がした。
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