プロローグ(1)

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プロローグ(1)

『よろしく』と言って私の目の前に並ぶ、三人の男の人。 「よ、よろしくお願いします……」  もう後戻りはできない空気に、私はおずおずと答えた。  どうして……。  どうしてこんなことになってしまったんだろう――。 *  ピピピ、ピピピ……。  時計のアラームの音で目を覚ました。  ベッドから出て、冬の寒さで鳥肌が立つ二の腕をさすりながらカーテンを開けた。古い木枠の薄っぺらい窓ガラスの向こうは、早朝にもかかわらず薄暗い。紺色の空を見上げ、雲が少ないことを確認して、今日も晴れそうだな、と嬉しさと安堵が入り混じる吐息が窓を白く曇らせた。  私――榊(さか)枝(えだ)花(か)帆(ほ)――の家は団子屋だ。  都心から電車で約二時間、ド田舎と言っていいほどのんびりした砂原町の、数少ない観光スポットである伊波風神社の参道に、団子屋『さかえだ』はある。場所柄、その日の天候によってお客さんの入りが左右されてしまうので、いつからかこうして朝起きると天気を確認する習慣がついていた。  体が寒さに慣れ、今日もたくさんお客さんが来てくれますようにと心の中で祈っていると、一階から物音が聞こえてくる。 「あ! おばあちゃん、もう準備始めてる! 早く行かないと!」  急いで身支度を済ませ、お店と繋がっている調理場を覗くとやっぱりそこには私の祖母――榊枝やえ――がいた。  やえおばあちゃんは団子屋『さかえだ』の店主であり、幼いころに両親を事故で亡くした私を育ててくれた、親のような存在でかけがえのない人。 「やえおばあちゃん、おはよう」  少しほっそりした背中に声をかけると、振り返って微笑んでくれる。 「あら。花帆、おはよう」 「ごめんね、少し遅くなっちゃった」  お団子の仕込みを始めているやえおばあちゃんの隣に並んで、まだ封を切っていない上新粉の袋を手に取った。 「いいのよ、お店のことは気にしないで。最近も夜遅くまで勉強していたみたいだし……学校もあるんだからもう少し寝ていたほうがいいのではない? 倒れちゃったら心配よ」  大きなボウルに慎重に水を加える横顔が、心配そうに眉を下げる。やえおばあちゃんの性格なのか、いつもこうして心配してくれるから私はわざと明るい声で答えた。 「大丈夫。高校生はこれくらいじゃ倒れないよ。むしろ体力がありあまってるくらいだもん。むしろおばあちゃんのほうが心配だよ。お手伝いの人が来てくれてるって言っても、ほとんどおばあちゃんが一人でお店やってるみたいなものだし……」 「ふふ、おじいさんがいなくなってしまってから、何年一人でやっていると思うの? 若い子には負けないくらい体力には自信があるんだから」 「えー? でも仕込みくらい毎日手伝わせてほしいな。私も勉強になるし」  『さかえだ』のお団子は、すべてやえおばあちゃんの手作りだ。優しい味のお団子は観光客に喜ばれるのはもちろん、地元の人の評判もいい。もちろん私も。むしろ私が一番やえおばあちゃんの作るお団子が好きだと思っている。 「わかりました。それじゃあ、しゃべっていたら準備が終わらなくなってしまうわね。花帆、お団子のほうお願いするわ」 「はーい!」  そして、そんな美味しいお団子を作るやえおばあちゃんと一緒に団子屋『さかえだ』をやるのが、私の夢でもあった。  仕込みがだいたい終わり、学校へ行く準備をする前に、私は昨晩のうちに作っておいたお団子を、やえおばあちゃんのもとへ持っていった。  自分でもお団子を作るようになったのは、団子屋をやるという夢を抱きはじめたころから。こんな風に仕込みの後に味見をしてもらうのは、毎日の恒例行事になっている。  柔らかめのあんこがかかったお団子を見て、やえおばあちゃんが期待で目を細めた。 「ふふ、今日はどんな味のお団子かしら」  気づくと定番のお団子だけではなく、いろんな味のお団子を作るのが楽しくなっていて、食べてもらうのは毎回私が考えた創作団子だったりする。  味見は自分でもしているけれど、やっぱりやえおばあちゃんに美味しいと言ってもらいたい。少しの緊張を抱きながら、やえおばあちゃんがお団子を口に入れる仕草を見つめる。味わい、確かめるように慎重に咀嚼して飲み込んでから、やえおばあちゃんが楽しそうに呟いた。 「これは……みかんね?」 「当たり。昨日、学校から帰る途中に裏のおばちゃんから手作りのみかんジャムもらったから、お団子に入れてみたの。白玉あんみつにみかんって入ってるでしょ? だからお団子の中にみかん入れて、あんこをかけたら簡易白玉あんみつになるんじゃないかなって思って」  私がそう説明している間に、やえおばあちゃんは二本目のお団子を食べ終えていた。 「ええ。このお団子とっても美味しいわ」  その一言に、よかったぁ、と胸を撫でおろす。 「花帆は発想が豊かだし、お団子を作るのもどんどん上手になってるわね」 「だって高校を卒業したら、おばあちゃんと一緒にこのお店をやるんだよ? それに最初は無理かもしれないけど……いつか認めてもらえたら、おばあちゃんの作るお団子と一緒に私のお団子を並べてもらいたいなって思ってるから。だから今からこつこつ頑張らないと」 「花帆……」  私の言葉で、やえおばあちゃんの優しい顔にうっすら影が落ちる。 「……あなたは若いんだから……お団子屋でなくても、もっと他にやりたいことをやっていいのよ? おばあちゃんのことも、お金のことも心配しなくても大丈夫なんだから……大学に行ったっていいんだし、専門学校だって今はいろいろあるんでしょう?」  お団子屋をやる、という私の夢はずっと変わっていなくて、やえおばあちゃんにもそう伝えてきた。けれど私が高二になったあたりから進路のことをすごく心配してくれているのだ。確かに周りはほとんど進学を希望していて、都会に行くとか大企業に勤めるとか地元に留まろうと考えている子は数少ない。 やっぱり私が無理してお団子屋を継ぎたいと言っていると、気にしているのかな。そんなことない、という思いをやえおばあちゃんに伝えたくてつい体が前のめりになる。 「もう。ずっと前から言ってるけど、私はこの『さかえだ』が大好きなの。おばあちゃんと一緒にお団子屋やるのが楽しいし、この場所が大切で生きがいなんだよ。他のことに興味持てって言われても、ここ以上に好きになれるものなんてないし……おばあちゃんがダメって言っても、絶対継ぐからね」  真剣な私の言葉を信じてくれたのか、これ以上話すとこじれてしまうと思ったのかどちらかはわからないけれど、やえおばあちゃんは小さく息を吐いて苦笑する。 「わかったわ。花帆は誰に似たのか、頑固だものね」 「ええ~?」と、私も冗談まじりに返して、この話を終わりにした。大丈夫、あと一年の間にやえおばあちゃんにしっかり意思を伝えたら一緒に お店がやれる、と信じたかったから。 そうこうしているうちに学校へ行く時間になってしまい、用意を済ませて玄関を出ると、わざわざやえおばあちゃんが外まで見送りにきてくれた。  今日は早めに帰るから、と伝えると、頷いたやえおばあちゃんが軽く咳きこんだ。 「おばあちゃん、もしかして風邪?」  体調には人一倍気をつけているのを知っている。そして、どんなに調子が悪くても私の前では元気でいてくれるようとしていることも。だから少しの咳でも、私は過敏に心配してしまう。  顔色が悪くないかと覗きこもうとすると、「違うわよ」と手のひらを揺らした。 「のどがすこしかさかさしているだけ」 「そう? でも心配だから、早く家の中に入ってね。冷たい風にあったったら悪化しちゃうよ」  そう言ってやえおばあちゃんを家の中へ押しこみ、やえおばあちゃんが心配で後ろ髪引かれつつも、行ってきますと明るく声をかけた。 「いってらっしゃい、花帆」  私の大好きな笑顔で、やえおばあちゃんが見送ってくれている。  私が通う砂原高校は、砂原町の商店街を抜けた先にある。  活気を内に秘めて開放されるのを待っている、静かな朝の商店街。ときどきすれ違う町の人に挨拶しながら、作ったお団子をやえおばあちゃんに美味しいと言ってもらえた嬉しさを反芻しながら、次はどんなお団子を作ろうかと考える。  美味しくて、食べてくれた人の記憶に残るものがいい。いつも参考にしているブログを見て考えようと携帯をかばんから取り出した。  その瞬間、キュッと音を立てて自転車が止まった。私のすぐ隣に。 「花帆!」  少し見下ろす格好で私の名前を呼んだのは、幼なじみの椹(さわら)木(ぎ)葵(あおい)だった。 「おはよ」 「おはよう。急に名前呼ばれたから、びっくりして携帯落とすかと思った」 「それは油断しすぎ。ていうか、歩きながらは危ないから気をつけろよ」 「うん、ごめん」  笑いながらおでこにチョップしてくる葵に、素直に謝る。 小さいころ、引っ越してきたばかりで知っている人がやえおばあちゃんしかいなかった私と、一番に仲良くなってくれたのが葵だった。それからずっと一番仲がいい、自然体で話せる幼なじみ。 「まあ、いつものブログ見てたんだろ? なんだっけ、ツッパリトーチャンのドスコイお菓子なんちゃら……」 「トッポリチーニさんの『ブラチーニお菓子トリップ』! わかってるくせに……」 「ははっ、悪い悪い。後ろ乗せてくから怒るなよ」 「いいの?」 「いいよ。ってか、いつも乗ってるじゃん。ほら、早くしないと遅刻するぞ」 「ありがとう」  高校に入学して新しくなった葵の自転車。もう二年が経つ中で、私もすっかり乗りなれてしまった荷台部分にまたがった。私が葵の上着を掴んだことを確認してから、葵はゆっくりと自転車を出発させた。  お店の連なりがもうすぐ終わりそうな場所まで来たとき、葵がしみじみとした声で話を始めた。 「テスト終わったと思ったら、あと少しで俺たちも三年になるんだよな」 「うん。そうだね」 「はー、進路とか考えろって言われてもどうしたらいいのかわかんないんだよなぁ……。花帆は進学じゃなくて、やっぱ就職するのか?」  お団子屋をやりたいという気持ちは、葵ももちろん知っている。「そのつもり」とはっきり答えたけれど、朝のやえおばあちゃんの曇った表情がふいに脳裏をよぎった。 「花帆はホント、ちっさい頃からブレないな」 「……そんなことないよ」  口でお店をやると言っていても、いざとなったときやえおばあちゃんが本当にOKしてくれるかどうか、正直、わからない。お団子屋を継ぐことで、私が無理をしているのではと、やえおばあちゃんに罪悪感を背負わせることになるなら……。  心のどこかにあった迷いが姿を見せはじめ、さっきと打って変わってしおれた声が出てしまう。 「花帆?」 「やっぱり大学に行くのが普通なのかな? 私みたいにお店をやりたいって言うのは変だと思う?」  真剣な私の質問に、葵が面食らったのが雰囲気でわかる。うーん、と数秒考えてから、葵も真剣な口調で言葉を選びながら答えてくれる。 「俺は変じゃないと思うけど。何をやりたいかなんて人それぞれだし……むしろ、花帆みたいにやりたいことが明確にあるのってすごいと思う。やりたいことって見つけたくてもなかなか見つかんないじゃん」 「そうなのかな」 「そうだよ」 「そっか。ありがとう。私、頑張るよ」 「おー。なんかよくわかんないけど、頑張れ」  やえおばあちゃんは、そうじゃないと言うかもしれない。だけど、葵が励ましてくれたおかげで少しだけ気持ちが持ちなおした。  ぐるぐる考えないで、やえおばあちゃんに心配ないよって言おう。どれだけかかっても、私のやりたいことはお団子屋だけなんだって伝えよう。  もうすぐ三年生に進級する。そうしたらきっと進路面談があるはずだから。そのときまでには、絶対。  ……私はこの瞬間まで、やえおばあちゃんは変わらずずっと一緒にいてくれると信じて疑っていなかった。一年後、おばあちゃんと二人で『さかえだ』に立つ自分を想像しながら。  思いがけない出来事が起こったのは、この日のお昼休みだった。  クラスメイトとお弁当を広げようとしていたところに、担任の先生が慌てた様子で私を呼びにきた。  不思議に思いつつ、教室のドアのところで手招きをする先生の元へ行くと、先生は今まで見たことがないくらい悲痛な表情をしていた。 「先生、どうしたんですか?」  つられて私の声まで硬くなってしまう。 「榊枝、落ち着いて聞いてくれ」  そう告げる先生のほうが、自分を落ち着けさせるためにひとつ深呼吸をする。聞きたくない、と私の心のどこかが叫んだような気がした。 「……おばあさんが倒れた」
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