【夏の生贄】

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【夏の生贄】

 清流は滞ることはない。  ただし、滞っていることに目を瞑れば。  蝉が情欲に塗れた歌声をあげる。そこに死を尊ぶような憂は感じない。蛙がこちらを馬鹿にしたようなダミ声を晒す。お前はいつか蛇に食われるだろう。  太陽をせしめんとする枝葉から光が木漏れ、不規則に唸る水面を煌びかせる。川辺の宴唄の喧騒と、耳馴染みの良いせせらぎの少し奥。ソレは岩に繋がれ、底に沈んでいた。大きな円系の縁に、いくつかの黒雷が刻まれている。分厚い皮にはビニール製の網が巻きついており、もう逃げることは出来ないようだ。 「苦しいか?」  問いかけても答えはない。 「なあお前ら、これ食べようぜ」  一瞬、宴は水を打ったように鎮まり、再び蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)とする。  僕はブルーシートを広げた。濃い青色のポリエチレンだ。  ソレを川底から引っ張り上げ、網を解く。シートの上を遠慮がちに転がるそれをみて、僕はどこか安心する。玉水が滴っている。ソレは怯えているように見える。僕はより安心する。棍棒を振り上げると、ソレは足を滑らせるように転げて逃げる。すかさず棍棒を振り下ろすと、スイカは四散した。もう一度振る。もう一度。もう一度。もう一度。 「もー、食べれるところ無くなっちゃうじゃーん」  ふと我に返ると、スイカは姿を消していた。テーブルには四分の一になったスイカが置かれ、綺麗に切り分けられているところだった。断面は滑らかで、棍棒で殴打したいびつな痕跡は、すっぱりと切り捨てられている。種が取り除かれ捨てられていく。汁が滴り地面に落ちる。残された皮はゴミ袋と一体になる。  ブルーシートの上はランダムに整えられていた。数え切れない程の、硬く黒い種。薄甘い淡紅色の汁。それらはやや傾いたシートの下側へ、ゆっくりと流れる川をつくっていた。 「素敵だよ」  清流は滞ることはなかった。          
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