満月の夜、近くて遠い約束をした

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――ねえ、今から10年経ってもお互い相手がいなければ、付き合ってみよう?  あの日告げられた言葉を、遠い未来の約束だねって笑って受け止めて。  いつ失われてもおかしくない約束を、心の片隅に留め置いてそっと暖めていた。  いつかそんな日が来るんだろうって、漠然とした未来を思い浮かべていた。 * 「結局、何もないままこの日を迎えてしまった……」 「ったく。誕生日のくせに、シケた面してんなあ」  キンキンに冷えたジョッキを前にぼやく僕を、トモヤはグッとジョッキを傾けて苦笑気味に笑い飛ばす。いつもなら僕も同じペースで飲むのだけど、今日はジョッキが進まない。 「誕生日っていっても、30歳越えてからはお祝いって感じしないしなあ」 「なら、俺はどうして今日お前と飲んでるんだろうな?」 「どうしてって、賭けの回収だろ?」  僕の言葉に、トモヤはまあなと笑う。それからぐびりとまたジョッキを傾ける。ただで飲む酒はさぞ旨かろう。飲む気はなかなか起きなかったけど、いつまでも眺めていては苦くなってしまうので、僕もビールを流し込んでみる。まだ冷たいはずなのに、いつもよりずっと苦い気がした。 「32歳までには、結婚までいかなくとも、付き合っている相手くらいいるつもりだったんだけどなあ」  トモヤとの賭けは、僕が32歳の誕生日の時点で彼女がいるかというものだった。掛け金は飲み会一回奢ること。そうして僕はあっさり賭けに負けて、自分の誕生日に全国チェーンの居酒屋でトモヤにごちそうしている最中である。 「ノブキの見込みって、サキのことだろ?」 「うっ……」  過去を懐かしむようにトモヤの視線がちょっと遠くなる。 「あの時からお前らいい感じだったと思ってたのに、何で10年も間を開けちゃったかねえ。二人して気が長すぎだろ」  言い返す言葉もなくて、僕は黙って苦いビールを口に含む。  この賭けは4年程前、トモヤが結婚した時に二次会の席で交わしたものだったけど、見込みの話も、その後に続く言葉も言う通りだった。 ――ねえ、今から10年経ってもお互い相手がいなければ、付き合ってみよう?  10年前の今日、サキはそんな曖昧な約束を僕と交わした。  トモヤの結婚式の時は僕にもサキにもそういった相手はいなくて、約束が守られたまま今日を迎えれば僕らは付き合うことになるはずだった。  いや、約束が守られればというのは語弊がある。今この時も約束はきちんと守られていて、その結果が僕の希望にそぐわなかっただけなのだから。 「まあ、おかげで俺はただでうまい酒と肴にありつけたからいいんだけどさ」 「お前、賭けたときからこうなるってわかってたの?」  唐揚げをかじるトモヤは少しばかし視線を彷徨わせた。 「まあなー。10年も曖昧なまま浮かび上がらせた感情なんて、いつの間にか消えない方がおかしいだろ」 「既婚者の言葉が重い。……というか、僕は誕生日に何で説教されてるんだろう」 「誕生日に賭けを設定する方が悪い。まあ、こうなったら別の相手を探すしかないだろ?」  グラスの底に残ったビールを飲み干す。若干温くなってしまっていて、苦みがより増してしまった。唐揚げに箸をのばしてみるけど、レモンのかかり方が偏っていたのかやたらと酸味が強かった。口の中が苦酸っぱい。最低だった。 「んー……。あまり次に行くって感じもしないなあ」  自分でも甘いとはわかっていたけど、今日までに何かが起こるんじゃないかと思っていた。結局そんな物語みたいなことは起こらなかったわけだけど、これからどうするということを考える気分にはならなかった。  そんな自分にトモヤから何かチクっと言われるかと思ったけど、テーブルの上に置いてあるスマホを何やら操作していて、特にコメントはなかった。二人で飲んでいるときに、それはそれでどうかとは思うけど。 「そういえば、普通に飲みに来てるけど、奥さんとか大丈夫だったのか?」  その辺の加減はよくわからないけど、飲みに行くことは必ずしも前向きに受け止められないんじゃないか。 「ああ、そっちは大丈夫だ。あいつもノブキのこと気に入ってるみたいだし」 「そうなの?」 「ノブキの約束の話をしたら、ロマンティックだーって喜んでさ。応援してるってよ」 「何離してんだよ。それに、その約束の話が今日終わったわけで、凄い複雑だし……」 「まあ、クライマックスまで手伝ってやるってことさ」  いつの間に注文していたのか、里芋のチーズ焼きが運ばれてきて、トモヤは笑顔でそれを口に運ぶ。僕も自分の分を取り分けて一口運ぶと、口の中ですった里芋と串切りした里芋にチーズをかけて焼かれたもののふわサクトロの食感が広がって楽しい。 「クライマックスって、つまり酒を飲んで忘れろと?」  トモヤに訪ねながら追加のお酒を頼む。今日はビールは相性が悪そうだから、サワー系に切り替えた。甘くても何でもいいから、とりあえずお酒を飲みたい気分になってきていた。  僕の少しやさぐれた問いかけに、トモヤはニッと笑う。トモヤが掬ったチーズが皿からずっと伸びていく。 「まあ、人生色々ってことさ」
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