満月の夜、近くて遠い約束をした

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 大学四年生の秋というのは何とも言えない時期だった。  就活が終わって最後の学生期間を満喫していたいような、けれど迫りくる卒論の波に徐々に急き立てられるような。  だからちょうどその時期だった僕の誕生日は、飲みに行くには都合のいい名目となって、僕はトモヤに誘われるまま大学の傍の飲み屋街に繰り出した。意外だったのは、時期が時期だしてっきりサシで飲むのかと思いきや、笑顔で待つサキの姿がそこあったことだった。  僕とトモヤは元々高校時代からの友人で同じ大学に進んで、サキとは大学に入ってから知り合った。僕とサキが同じ学科の同級生で、トモヤとサキは同じ部活の同期で、共通の友人ということもあって入学してしばらくすると、3人で遊びに行くようなことも多かった。 「……あれ、トモヤ君から連絡来てる」  向かい側で日本酒のサワーを飲んでいたサキがスマホを手に取った。  そういえば、少し前に電話がかかってきたといって席を立ってから、トモヤは席を外したままだ。 「えー。トモヤ君、研究室の先輩から呼び出されたからそっちに行くんだって」 「あー、トモヤの研究室、すこぶる体育会系らしいからなあ」  それにしてはタイミングが良すぎるなあとは思う。一通り飲み食いして、そろそろ店を出ようかという頃合いだったのもわざとらしいし、僕ではなくサキに連絡するというのも少し不自然だった。なんか、余計な気を遣われた気もする。 「僕たちもそろそろ出ようか。トモヤの分は明日取り立てるから、僕が払うよ」 「うん、ごめんね、ノブキ君の誕生日なのに」 「いや、いいよ。ずっと研究室に詰めてたから、今日は久々に楽しかったし」  サキと連れ立って店の外に出る。ついしばらく前までの茹だるような暑さはすっかり影を潜めていて、吹き抜ける秋の夜風がお酒で火照った頭に心地いい。  つと空を見上げると、ポッカリとした満月が少しばかり雲を纏いながらも穏やかな光を湛えている。なんだか、歩きたくなるような夜だった。 「ノブキ君、よかったらちょっとお散歩しない?」  サキも同じようなことを思い浮かべていたようで、それがなんだか嬉しい。 半人分の距離を開けて、夜の街中、河沿いの道をサキと歩く。交わすのは飲み会の時と同じ些細な会話。研究室の先輩がちょっと厳しいとか、この内定式に出席するけど恰好をどうしようとか。  急き立てられる日々から浮き立つような穏やかな時間だった。  そうやって歩いていくうちに、河を下り終え港沿いの道に出る。港町に住む僕らには見慣れた風景だけど、護岸から海がずっと広がって、暗い海と夜空が溶け合い、その天頂に月が浮かんでいる。  波は穏やかに凪いでいて、光をまっすぐ反射する海が月の道を照らし出していた。 「キレイ……」  河をまたぐ橋の欄干から、サキと並んでその光景を眺める。  相変わらず僕と彼女の間の距離は半人分。だけど、この穏やかな時はとても大切な時間に思えた。 「月からノブキ君への誕生日プレゼントかな?」 「どうかな、僕以外にも今日が誕生日な人は多いだろうし」  この風景は今海辺から月を見上げている全ての人に捧げられている。  なんて考えていたら、隣でサキは頬を膨らませていた。 「えー、そこはもっとロマンティックに感じてもいいと思うけどなあ」 「ここ最近統計とかばかり扱ってるから、リアルな見え方しちゃうのかなあ」 「研究を頑張るのはいいけど、飲み込まれないようにね」  隣に立つサキが月のように穏やかさに優しさが加わったような声で微笑みかけてくる。  ああ――手放したくないと、咄嗟に思った。  穏やかな時間も、幻想的な景色も、その横で笑うサキのことも。 「せっかくだし、もう少し飲まない? そろそろ店はしまっちゃうけど、もしよければ、僕の家ならここから近いし……」  隣でハッと息を呑む気配を感じる。サキの視線が僕と月を行き来する。  やがてサキが僕の方に視線を落ち着けた。そこに浮かんでいるのは困ったような笑み。 「どこの箱入りかなって思うかもだけど、男の人の家に行くのは、ちゃんとお付き合いしてからかなって。ノブキ君のことは信用してるけど、一人暮らしするのにそういう約束になってるから」  サキのその言葉は、知り合ってから暫くした時に聞いていた。  その時は両親も心配なんだなあなんて思ったくらいだけど。 「知ってる。だから――」  僕がサキに正面から向かい合うように動くと、サキがパッと僕らの間にあった半人分の距離を詰めた。  ドキリとした僕の口元に、サキは人差し指をスッと伸ばした。その仕草で、僕は僕の続きの言葉を見失う。 「ねえ、今から10年経ってもお互い相手がいなければ、付き合ってみよう?」  サキのその言葉を、拒絶と捉えるべきか保留と捉えるべきか、控えめな同意と受け取っていいのか、判断ができなかった。  少しだけサキの言葉の続きを待ったけど、サキも僕の返事を待っているようだった。 「それは……遠い未来の約束だね」  結局僕も同意とも非難ともとれる返事をする。  サキはまた月を見上げた。 「近くにあるようで遠い、月みたいなものだよ」  サキの言葉は難解で、僕は頭をかきながらお酒で鈍った頭を精いっぱい働かせる。 「……わかった。10年後ね。かぐや姫との約束のようにならないように気を付けるよ」
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