満月の夜、近くて遠い約束をした

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 トモヤと飲んでいたのは1時間半くらいだったけど、飲み始めが遅かったこともあって、最寄り駅に着くころには23時を回っていた。  まあ、最寄駅からは5分程で家に着く。お酒が抜けきれずぼうっとした頭でとぼとぼ歩いていく。明日は休みだけど何をしよう。代休をとる日を聞かれた時、何か起こればいいなと思って誕生日の翌日にしたけど、唯々無聊を慰める日になってしまいそうだ。  ため息をついて空を見上げる。10年前と同じような満月が、あの日よりも天頂高く浮かんでいた。雲がかかることもなく、夜の街を明るく照らしている月が、今日ばかりは恨めしい。八つ当たりだとわかっていても、雲の向こうに隠れていてくれればよかったのになんて思ってしまう。  やっぱりそれは八つ当たりで、そんなことを思い浮かべる自分がむなしくて、もう一度ため息をつく。  カバンから鍵を取り出しつつ、アパートの2階に上がる。とりあえず今日はもう寝てしまおう―― 「……っ!?」  予想外の光景に、言葉を失った。  僕の部屋の前で、女性が捨てられた子猫のようにしゃがみ込んで月を見上げていた。  僕の気配を感じ取ったのか、スッと視線が月からこちらに寄せられて、微笑みと共に立ち上がる。 「よかった、このまま今日が終わっちゃうかと思ってた」  立ち上がった女性――サキはそう言ってふわりと微笑む。 「ハッピーバースデーだよ、ノブキ君」 「ハッピーバースデーって、どうしてここに……?」 「えっ? トモヤ君に家の場所聞いちゃった」 「いや、そうじゃなくて……」  Howじゃなくて、Whyなのだ。誕生日を祝うになら、直接来なくたってメッセージを送れば十分だろう。  僕の表情を見て、あれれ、とサキが小首を傾げる。それから、イタズラっぽい笑みを浮かべた。 「もしかしてノブキ君は、あの日の約束忘れちゃった?」 「覚えてるけど、でも、サキには彼氏が……」  彼氏?とまたサキは首を反対側に傾げる。少し視線を彷徨わせて、合点がいったようにパッと僕に視線を戻した。 「もしかして、SNSのステータス見たの? あれ、虫よけだよ?」 「……虫よけ?」 「色々とね、声かけてくる人もいるから。それに――」  そこまで言って、すっとサキが視線を逸らした。 「あの日のわたしは自分に自信がなくて。だからあんな約束しちゃったけど、ノブキ君の重しになってないかなって。もし、SNSを見てノブキ君がもしそれで他の道を選ぶなら、それはそっちの方が正しいことだと思ったから」  気まずそうな表情を浮かべるサキを見ていると、なんだか気が抜けてしまった。この2年くらいの不安が一気に零れ落ちたようにホッとして、その場にへたり込んでしまいそうになる。 「でも、本当にそれを見て僕が誰かと付き合っているかもしれないとかは考えなかったの?」  今そんなことを気にするべきじゃないとは思いつつ、つい口に出してしまう。 「それはね、トモヤ君からちょこちょこ情報もらってたの」 「え」  そういえば、今日のトモヤの言葉を思い出すと、不思議な質問がいくつかあった気がする。それに、スマホを触っていたのも奥さん相手じゃないと言ってたし、サキにリアルタイムで情報を流していたのかもしれない。  それなら、いつもに比べて早くお開きになっていた理由もわかるし、こんな時間までサキがここで待っていたのも理解できた。 ――それくらいの気概は見せてくれよ。  去り際のトモヤの台詞を思い出す。うるせー、とは思うけど、余計なお世話だという気はしなかった。実際、大いに世話になってしまっていたわけだし。  トモヤのことをリアリストだと思ってたけど、とんだ思い違いだった。10年もの間――あるいはそれ以前から僕たちのことを応援していただなんて。 「ねえ、ケーキ買ってきたんだ。せっかくだし明日になる前に食べない?」  サキが片手に下げていた袋を持ち上げて見せる。ケーキというけど、その箱はちょっと大きい気がする。 「もしかして、ワンホール買ってきたの?」 「うん。だから、一人で食べきるのは大変だと思う」  サキの言葉に僕はそっと顔を手で覆う。ああ、もう——変な顔をしてしまっているのが自分で分かった。ニヤニヤとしてしまいそうな頬を真顔へ抑えつつ、頭の中では紅茶のストック残ってたっけとか部屋の中の様子を冷静に思い浮かべる。  うん、どちらも問題ないだろう。 「じゃあ、散らかってるけど……って、サキは明日仕事じゃないの?」 「えへへ、実は明日は随分前から休みを入れてたんだ」  サキも同じようなことを思い浮かべていたようで、それがなんだか嬉しかった。  多分、これで二回目。これからもっともっとそんなことを積み上げていくことができればいいなと思う。 「ねえ、ノブキ君」  ドアに鍵を差したところで、背中から声がかかる。 「うん?」 「時間かかったけど、わたしは自信を持ってノブキ君の隣に立てるようになったよ」  さっきもちらっと言っていたけど、あの日、サキがあんな約束を言い出した理由は。  そんなことを気にするほど僕は大した人じゃないし、この10年もただ約束を信じるだけでいっぱいいっぱいだったのに。だけど―― 「宝物を探しに行ったわけじゃないけど。僕も約束、守れてよかった」  ドアを開けて、サキの方を振り返る。  ちょうど満月がサキの頭上に見えて、どこかサキを神々しく照らす。まるでその光はサキのためだけに差し込んでいるようにも感じた。  だから、月に連れていかれない様にサキに手を差し出して、そっとその手を取る。  この10年、サキはいつでも連絡が取れるくらい近くにいたけど、この一歩が果てしなく遠かった。 「――だから、10年前のあの日から、また始めよう」
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