2

1/1
12人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

2

それからあの人に会う事は一度もなかった。 最後に会った日の別れ際、また明日小劇場の前で会おうとだけ約束したはずだったが、翌日、約束の時間にどれだけ待っても、あの人は来なかった。 約束の時間から1時間近く待ったが結局あの人は来なかったので、仕方なく私はその日はバスに乗って自宅に帰った。 そしてその翌日も、約束の場所で約束の時間にあの人を待ったが、結局あの人が現れることはなかった… それからというものずっと… 私があの人と知り合ったのは、その待ち合わせをした小劇場の中でやっていた演劇「ゴドーを待ちながら」の舞台を隣合わせて偶々観ていて、帰り際にちょっと話をしたのがきっかけだった。 それからあの人とは小劇場で待ち合わせをして帰りに一緒に帰るというだけの付き合いだった。 あの人は自分がどういう素性の人間なのかを一切話さなかったし、どこに住んでいるのかも言わなかった。 ただ自分も前に演劇をしていて、舞台に立ったことがあるという事しか私には話してくれなかった。 だから会えなくなってから、あの人のことを捜索することは極めて困難で、結局何もすることが出来なかった。 私はそれから数年して大学を卒業し、就職して仕事を始めたので、演劇からも、彼の事からも徐々に遠ざかっていった。 だが結婚適齢期になり、特に付き合ってる男性もいなかったので母が見合い話を持ってきたが、どの縁談も成立しなかった。 そのうちに父も母も亡くなり、私は一人ぼっちで実家で暮らしながら、そのまま仕事を続けた。 仕事の帰りは、あの人に会えなくなって以降もずっと、あの人と一緒に演劇の話をしながら歩いた道を、わざと毎回道を間違えて1時間半もかけて遠回りをして自宅に帰った。 どこかであの人が不意に現れるかもしれないことを密かに期待していたのかもしれない…。 そんなおかしなことをやり続けてから3年ほどした頃、月の光が強い夜、ある時、妙にあの人の影が私の隣にいるように感じられるようになった。 そんなのはただの錯覚だし、ただの妄想に過ぎないとずっと思っていたのだが、どうしても私の目には、そこにあの人の影が存在し、私と一緒に並んで歩いてくれているような気がして仕方がなかった。 私はそれがただの錯覚であり、ただの妄想であることはわかっていたので、他人にそのことを話した事は一度もないが、ただ私自身は内心どう思っていたかというと、正直、その影は、あの人そのものの影だと徐々に思うようになっていった。 だから仕事の帰り道を一人ぼっちで歩いていても寂しくなかった。 と言うより、いつまでも独身のまま一人ぼっちでいても、まるで寂しさを感じなかったのだ。 何故なら私は今でもずっと、彼の影と一緒に帰り道を歩き、何やら奇妙な会話を私の頭の中だけでし続けていたから…。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!