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今はもう、彼女はいない。
先週、僕より先に、静かに息を引き取った。
だがその死に際の表情がとても穏やかで、満足しきった幸せそうな表情であったことが救いだった。
僕は最後、彼女が亡くなる直前に、やっと長い間果たせなかった、彼女との待ち合わせの約束を果たすことが出来た。
先日、再び彼女と、あの小劇場で「ゴドーを待ちながら」を一緒に観に行くことが出来たから。
そしてその後また、僕は小難しい演技論の話をし、彼女はその話を聞いてくれて、たまに僕に反論しながら、二人で月の光輝く夜道を話しながら歩いた。
楽しかった。
僕は既にすべて思い出していた。
もう思い残す事は何もない。
僕には彼女が全てであり、彼女の他に、何もなかったから。
そのすべてがもう、終わったのだから…。
僕ももうすぐこの世から消え去ることになるが、その前に彼女にまた会えて本当に良かったと思った。
ふと、病室のベッドから窓の方を見ると、そこに大量の傘の群れが浮かんでいるのが見えた。
確か前に、奇妙な都市伝説を聞いたことがある。
都市の高層ビル街の空を飛び交う、空飛ぶ傘=スカイアンブレラ。
ある時、人は、それを目撃することが出来る…。
僕が倒れた時、この病院に運んでくれた夥しい数の傘の群れ…
スカイアンブレラ…
そのおかげで僕はまた彼女に再会することが出来、そして約束を果たすことができた…
「ありがとう、もう思い残す事はないよ」
僕はそう傘の群れに謝意を述べた後、静かに目を閉じた。
(終)
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