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アヒルの水掻き
「あ、陽ちゃん。いらっしゃい〜」
「こんにちは」
レジにいる、おばさんに会釈と挨拶をかえして、冷蔵庫から父が最近愛飲している糖質ゼロのビールを2本かごに入れる。
ふらっとワイン棚も見回して、ラベルの見た目で選んだ白ワインも一本、手に取る。
「それ、辛めだけど。いい?」
あ。
斜め後ろから急に声をかけられて、心臓が跳ねた。
心臓が跳ねたのは、驚いたからじゃない。
寧ろ、待っていた。
「え。甘めがいい」
振り返りもせず、上擦りそうになる声を低めに抑えた。
「じゃあ、こっちとか、これとか、陽ちゃんにオススメ」
振り返らず、棚を見上げたまま、お勧めのワインを指さす指はなんとか見た。
長くてごつい男の人の指だ。
「じゃあ、それにする」
私がぶっきらぼうに返事をすると、隣から手が伸びて、棚のワインを取った。
ようやく斜め上の顔を盗み見る。
KAWASEと縫われた川瀬酒店の紺色のエプロンを生成りの白シャツの上に引っ掛けている、この男、川瀬圭は、私の憧れをこじらせて、腐らせて、煮詰めて、もはやなんだか分からない気持ちの対象だ。
圭君はワインボトルの肩をさっと撫でると、ふっと笑って、はい、とこちらへ差し出した。
「ありがと」
手元のワインを圭君が取ってくれたボトルと交換した。
「ん。他は?」
「あ、もう、これで」
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