ある朝、街が泣きました。

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 ゆうかが障子から顔を出しました。  大きな和室の隅に、布団の中で姿勢を正しくして眠る祖母の顔を見つけました。  ゆうかは祖母を起こさないように、忍び足で近づきます。  ですが、慣れないつま先歩きのために思う様にバランスが取れず、横に倒れてしまいます。  その音で、祖母は目を覚ましてしまいました。 「おや、ゆうかかい?」  ゆうかは祖母を驚かそうとしていたので、残念がって答えます。 「うん、そう。あたし。せっかくおばあちゃんを驚かそうとしていたのになぁ」 「あら、それは残念だったわねぇ、ふふふ」  嬉しそうにする祖母に、ゆうかが口をとがらせます。 「次は絶対驚かすもん!」  そう言って、祖母の枕元に座ると、その顔をまじまじと見ました。 「おばあちゃんの顔、皺だらけ。触ってもいい?」 「ええ、いいわよ」  ゆうかはその顔の皺の一つを人差し指でなぞっていきます。  祖母がくすぐったそうに鼻をぴくぴくとさせます。  ゆうかは皺の線からはみ出さないように、慎重に慎重になぞっていきます。そうやっていくつかの皺をなぞり終えると、今度は自分の顔を触り始めました。 「あたしの顔には、全然ない」 「ゆうかは、まだ産まれたばかりだからね。今、何才になったの?」 「5才」 「あら、もう5才になったのね」 「ゆうかも、おばあちゃんみたいに皺が欲しい」 「ゆうかは、お空の上から街を見たことはあるかい?」 「まち?お空の上から?」 「ええ、そうよ」 「うーんとね。この前ね、パパがパソコンで見せてくれたよ」 「写真かしら?面白かった?」 「うん。なんか線がいっぱいだった」 「おばあちゃんのね、この顔の皺もそれと一緒なの」  ゆうかが首を傾げました。  祖母にはそのゆうかの様子が見えなくとも、ゆうかの気持ちがわかります。 「ゆうかが見た街もね、初めはなんにもない、皺ひとつない場所だったのよ」 「ケーキ屋さんも幼稚園もなかったの?」 「ええ、そうよ。そこにね、長い長い時間がかかって、ケーキ屋さんや幼稚園や、他にもいっぱいの建物が立って、道ができたの」 「へぇ!そうなんだ!」  祖母はゆうかの嬉しそうな声がはっきりと聞こえて、ますます笑顔になりました。 「そうなの。それはね、おばあちゃんのこの皺も一緒なの」 「えー?なんで?」 「おばあちゃんも初めはゆうかみたいに皺の無いつるつるの顔だったの。でもね、長い長い時間がかかって、いろんな経験をして、たくさんの思い出ができて、それでこうやってたくさん皺のある顔になったのよ」 「そーなんだ!じゃあ、あたしもいつかそうなるね!」 「ええ。ゆうか、おばあちゃんの顔を上から覗いてごらん」  そう言われたゆうかは、祖母の顔を覗き込みました。 「パパのパソコンで見たのに似てるかい?」 「うん!似てる!おばあちゃんの顔も、街とおんなじだね!」  ゆうかと祖母は二人でくすくすと楽しそうに笑い合いました。  次の日の朝でした。  祖母は夜の間に、静かに息を引き取っていました。  今朝の様子を見に来たゆうかのお母さんが、それに気付いたのです。  お母さんが泣き始めると、おかあさんと一緒に来ていたゆうかもそれを見て、訳も分からずに泣き始めてしまいました。  二人は、祖母の枕元でしばらくの間、それはゆうかのお父さんが来るまでの間ずっと泣いていました。  反対側の障子からは、部屋いっぱいに朝日が差し込んでいました。  泣きじゃくるゆうかの涙がぽたぽたと降り落ちて、皺をつたい、朝日が当たる祖母の顔を濡らしました。  それはまるで、ひとつの街が泣いているようでした。
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