epilogue

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 結果、俺の惨敗だった。  遠くで鳴るパトカーのサイレンが、まるで試合終了の合図のようだ。 「おい大丈夫か? まったく、一章前でメンタルの話をしていたとは思えないへこたれっぷりだな」  彼女が半ば呆れたように言う。 「だ、だって……」  うなだれる俺の肩に、彼女は手をのせた。 「そう落ち込むな。今日の反省を生かして、また明日から怪盗を目指していけば良いじゃないか」 「え……?」 「お前の盗人人生は、まだ始まったばかりだ。これからいくらでも取り返せる。お前ひとりでは気づくことができなかったことに気づいただけでも、立派な成長じゃないか」  え……、何その優しい笑顔。キュンとするじゃない……。  ……っておい騙されるな! さっきこいつに精神ズタボロにされたばかりだぞ!  ……まあ、言っていることは、間違っていない、けどな……。  ……よし、明日からまた、頑張るか――。  辺りはもう深夜の景色だ。サイレンの音とともに、無数のランプが赤く点滅する。物騒な夜だ。 「ところで今更だが、君は一体何者なんだ?」  会話することがなくなり気まずくなった俺は、適当に彼女に話しかける。  早く帰れよ、とは彼女は言わなかった。 「私か? 私は、この愛読書で“怪盗”を極めた、ただの女子大生だ」  ああ、随分読み込んでるみたいだしな、その漫画。要は漫画オタクってことか。まあ今回は、その知識に助けられたな。  でも、ちらっと部屋を見てみると、例の怪盗漫画以外はどうやら漫画は置いていないらしい。というか、この部屋、ほとんど物が置かれていない。 「君の部屋、やけに綺麗だな。掃除好きなのか?」 「整理整頓は、怪盗の必須条件だ」  そうなのか? まあ、盗んだものをそこかしこに散らかすのは良くないか。  また訪れる沈黙。 「俺が来るまで、何してたんだ?」  もはや痴漢として通報されかねない発言だが、彼女は気にしない。 「出かける準備、だな。いろいろ用意している途中で物音がして、来てみたらお前がいた」 「あっ、なるほど……」  物音、か……。……今回は結構うまく忍び込めたと思ったんだがな。  それに彼女、これから出かける予定だったのか? 「予定があるなら、俺そろそろ帰るわ」 「そうか、こちらもそろそろ出かけるころだ。ところで  気づいているか? お前」 「……えっ、何に?」 「サイレンの音」  ……え?  ファンファンファンファンファンファン!!  今まで気づかなかったことが信じられないくらいの大音量で鳴るサイレンの音。  てかこれ、ものすごい近くなんじゃ!? しかもかなりの数いるぞ!?  ま、まさか、俺がここにいることがバレたのか!? というか普通に考えて彼女が通報したんじゃないか?  そうか、俺に論争を持ち掛けたのも、他愛のない話に付き合ったのも、俺を足止めするためだったのか! 「まずい! 俺は逃げる!」 「ああ、是非そうした方が良い」  のほほんという彼女。 「お前は巻き添えで捕まる可能性があるからな」  ……は? 巻き添え?  次の瞬間、彼女は目の前から姿を消していた。あの怪盗漫画とともに。  ふと後ろを振り返る。  礼装のようなかしこまった衣服。  シルクハットにモノクル――。  凛として窓辺に立つ姿は、俺が憧れとする、怪盗チェスナットそのものだった。  呆然として言葉を失った俺に背を向けて、彼女――怪盗チェスナットは言う。 「なんとなく警察に勘付かれている予感はしていましたが、やはり来ましたか。そういうわけなので、私はこの夜の闇に溶けるとしましょう。  それでは、またお会いする日を楽しみにしています。次に会うときは、あなたが正真正銘の怪盗になっていることを期待していますよ――」  横顔の彼女のモノクルが月明かりに照らされて、怪しげに、そして神秘的に光る。  気がつくと既に彼女の姿はなかった。
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