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電話がかかってきたのは、だいぶ日にちが経ってからのことだった。普段と変わらない寂しい一人きりの部屋で、私は唇を引き結んで受話器を取った。
「あ、俺お好み焼き屋で働いてる柳瀬ですけど、覚えてます?」彼の声を聞いたとき、なぜか部屋がぱっと明るくなった。未知の世界へのドアを開けるように思えた。
「かけようかけようと思ってたんだけど、なかなか時間がなくてさ」
「そうなんだ」
「そう。ごめんね遅くなって」
「ううん。いいの、別にそんな気にしないで」心臓がドキンドキンと鼓動を打って、今にも飛び出してしまいそう。
「どうする?いつ会える?あ、会えます?」
「いつでもいいけど」できるだけ早く会いたい。心の中に嵐が吹き荒れていた。
「いつでもいいか、そうだなぁ……」「あ、ごめんじゃあまた電話するよ」
そう言われて、私の唇から、思わず言葉がもれた。「いつでもしてきて」
自分がこんなことを言う女だとは思ってもみなかった。恥ずかしさと惨めさに、私は死にたい気分だった。
細かい話もしないまま、何かにせき立てられるように電話が切れて、私は頭の酸素が残らず抜け出していくような気がして、どっとベッドの上に倒れ込んでいたのを覚えている。
最初はぎこちないのも当然だ。彼のことは名前と仕事場しか知らないのだから。
たちまち情熱の渦から現実に引き戻される。しかし、肌のほてりはほとんどおさまらず、私の耳の中では血液がうなりをあげて渦巻いていた。
当時の一人暮らしは今とは比べものにならないくらい寂しかったからだろうか、私がこれほど何かを、たぶん、異性を、求めたのは生まれてはじめてだった。
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