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「……客船?」
意味が分からず問い返す。
「ああ。途轍もなく巨大な『船』さ。遥か以前、この場所は海の端っこだったんだ。今は海岸線もすっかり後退しちまって、ここは陸地になっちまったがね」
ジンは老人の掌に鼻をつけ、しきりに匂いを嗅いでいる。
「海……途方もなく深くて大きな湖のことか? 昔、親から聞いたことがある。水が塩辛くて、魚が沢山いるとか」
「そうだな。まぁ、間違いじゃあない。もっとも、今でも魚がいるかどうかは知らんがね」
老人がジンの頭を優しく撫でた。
「儂の部屋に来るといい。大したもてなしもできないが、干し肉と温かいお茶ぐらいは出せる」
ゆっくりと立ち上った老人が、こっちに背中を向けて奥へと歩き始める。
「……この暗がりで、どうして灯り無しで歩ける?」
老人の手にランプらしき物はない。
「必要ないからな。何しろ目が見えなくなって久しい」
見えなければ、明るくする必要もないと。
「そうか」
少し間を置いて、ジンとその後を着いていく。しばらく歩いたのち、大きな扉を開けて「ここだ」と老人が中へ降りていった。
「……」
足元に気をつけながら、慎重に中へ降りていく。ランプで照らした内部は、それほど広くない部屋だった。二人と一匹でいっぱいになるほどに。
「狭くてすまんな。この眼だと、狭い方が何かと都合がいいのでね」
手探りで、老人が机の上を探っている。
「分かるか? ここに肉が少しある。勝手に食べてくれていい。その犬にも食べさせてやれ。まだ沢山あるから心配はいらん」
慣れた手つきで古びたポットをコンロに掛けている。蒼い炎がほんのりと輝く。
「さっき、親と言っていたが」
老人がよろよろと腰を下ろす。
「その親はどうした? 別れたか」
「……死んだ。かなり前に」
あれから何日経ったのか、はたまた何年なのか。雪と寒空だけが延々と続くこの世界ではよく分からない。
「そうか」
短い答えが返ってくる。抑揚のない声。
「他に人間を見たことは? 儂はもう何年も……いや、何十年も会っていない」
「オレもだ。親と老いた仲間が三人いたが、皆死んだ」
ふつふつというポットの沸く音に、コンロの火を落とす。燃料を可能な限り節約するのは染み付いた習慣。
「そこの茶筒から茶葉を入れてやってくれ。一摘みあればいい」
「……もう人間は残っていないのか? オレたち二人だけなのか?」
錆びた筒から取り出した茶葉を入れる。何のお茶か知らないが、随分と久しぶりだと思う。
「ああ、儂らが人類最後の二人かもな。何しろここはあの巨大隕石が落ちた『インパクト・ゼロ』の真反対……ここで生きられないのなら、もうこの星に人の住める場所なぞない」
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