それでも世界は壊れない

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それでも世界は壊れない

 コンビニの入り口のすぐ横で、私は空を見上げる。  高層ビルに四角く区切られた空を見ていると、今立っているこの場所が世界の果てのように思えてくる。本当にそうだとすれば、なんて狭い世界だろう。  青い空に一筋の飛行機雲が描かれている。この時間には決まって飛行機が横切っていくのだ。初夏の風が高校指定のプリーツスカートを揺らす。子どもっぽいかもしれないが、髪の毛を二つに結んでいて良かった。 「瑠璃、アイス溶けてる」 「あっ……」  名前を呼ばれて気が付いた。食べようとしていたソフトクリームが溶けてしまっている。開いている左手で制服のポケットを探るが、そこにハンカチは無い。そういえば、鞄に放り込んでいたんだった。ポケットに手を突っ込んだまま、どうしよう……とソフトクリームを見つめているとハンカチが差し出される。 「ボーっとするならアイス食べてからにしろよ」  隣の幼馴染から受け取り手を拭う。持ち主の性格が表れているのか皺一つ無い真っ白なハンカチだ。ありがたく使わせてもらうことにする。 「ありがとう、樹」  昔から樹は思考がすぐにどこか遠くへと行ってしまう私をよく助けてくれる。おそらく病弱な彼の弟に重ねられているのだろうが悪い気はしない。それの恩返しという訳では無いが、私は樹によく勉強を教える。解があり正解しても何も悪いことが無いから、勉強は私が唯一好きなことで特技でもある。  樹に勉強を教えるのは楽しい。一週間前にもテストのために勉強を教えた。四角い窓から夕焼け色の光が差し込む中、私と樹は向かい合って座った。クラスメートは塾に行ったのか帰宅したのか、二人きりだった。樹は真剣な顔で取り組んでいたから、勉強以外の話をするのは憚られた。黙々とシャープペンシルを動かし樹からの質問に答えるだけの時間はあっという間に過ぎていった。 「洗って返せよ、それ」  意識を夕暮れの教室から青い空の下へと引き戻した彼の声に頷く。樹は大きな溜息をついて、自分のソフトクリームを頬張る。  少しのソフトクリームを食べてしまうと、ほんの少しの頭痛に襲われた。顔を顰めていると、目ざとい幼馴染はそれに気が付いて肩を竦める。 「アイス、食べたかったんだろ?」 「あ、うん……」  返事をしながらパリパリとコーンをかじる。バニラ味のソフトクリームの器替わりでもあるそれは舌の上に残っている甘みを喉の奥に拭い去っていく。しっかりと咀嚼して、最後のひとかけらを食べきる。 「お前がテストで満点取れたからお祝いに奢ったのに、ずいぶんつまんなそうに食べるな。奢り甲斐が無い」  不服そうな顔をしている。他人が喜んでいるところを見て自然と笑顔になっているような人間が彼だ。だから奢り甲斐が無い、だなんてことが言える。  樹の切れ長な目を見上げる。今の私の感情をどのように言えばいいのか、頭の中で整理する。そして、口を開く。 「ほんとは、肉まん食べたかった……」 「は?」  怪訝そうな顔だ。彼はコロコロ表情を変える。昔から変わらない。いろいろ考え事をしていて表情を変えることを忘れる私からすると、大変じゃないのかなと思ってしまう。 「けど樹、甘いの好きじゃん」  樹はじっとりと私を睨みつける。 「あのさ……意見あるならとりあえず言っておけよ」 「……そうだね」  樹の言う通り、言えば良かったのだ。本当は肉まん食べたかったなんて本音を言わずに、つまらなそうに食べてなんかない、と言えば良かったんだ。そういう、咄嗟の選択が苦手だ。 「ちゃんと言えるようにする」 「そうしてくれ。そしたら、肉まんぐらい奢るよ」  いつの間にか身長が抜かれてしまって、ずいぶん差が付けられてしまった幼馴染に微笑まれる。樹はとっくにソフトクリームなんて食べ終わっている。  ピコン、とスマートフォンの通知音が鳴る。樹のスマートフォンからだ。画面を見た彼が「悪い、帰るな」と手を振って、背を向ける。おそらく彼の弟から何か連絡があったのだろう、慌てた様子だ。私も手を振る。  樹の姿が見えなくなった頃、先ほどの会話は噛み合ってないんじゃないかと言う考えが過ぎる。けれどそれを言ってどうなるだろう。どうにもならない。だから口には出さない。確信を持った考えではないし、ついさっき言った方が良いことと悪いことがあると確認したばかりだ。  飛行機雲が薄らぎ、今にも消えそうになっている。  空は変わらず青い。
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