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特に用事も無いので樹と別れた私は家に帰ることにした。クリーム色のマンションの前で足を止める。階段を使う気にはなれなかった。素直にエレベーターを使う。五階で降り扉を開く。
「ただいまー……」
「あ、瑠璃おかえりぃ」
リビングから顔を覗かせたのは姉の朱音だ。満面の笑みで迎えてくる。
大学生になってから姉は髪の毛をシャンパンゴールドに染め、爪の先まで綺麗に整えている。母が目を細めて「すっかり垢抜けた」と呟いていたことを覚えている。
脱衣所で制服から楽なルームウェアに着替える。樹から借りたハンカチを洗濯機に入れ、ついでに鞄の中のハンカチも入れてしまう。
リビングのテレビを見てみると、カメを蹴り飛ばしお姫様を助けるアクションゲームが起動されていた。この手のゲームは得意ではない。どのように動けば正解なのか考えているうちに、気が付くとゲームオーバーになっているからだ。もう終盤のステージまで来ているようで、マグマが四角い画面の中で煮えたぎっている。……姉がやっていたのだろうか。
意外に思って彼女の顔を見つめてみると、にっこりと笑ってコントローラーを手渡してくる。
「瑠璃もやるー? 久しぶりにさ!」
姉から手渡されたコントローラーを受け取って操作した赤い帽子のキャラクターは、マグマの海へと身を投じていった。
「相変わらず下手だね~」
アハハと大笑いされてしまう。向日葵のような笑顔だ。思わず声が低くなる。
「いいじゃん別に……。ところでなんでこれやってたの?」
「暇だったから」
本当は彼氏と水族館行こうと思ってたんだけど別れたからねぇ、と軽い調子で続ける姉に、思わず目を見開く。
「え、あ、別れたの……? 彼氏さんと」
「うん。映画のスタッフロール終わんないうちに帰るって言いだしてさー。そういうのどうかと思うって言ったら喧嘩になって」
信じられない……。
姉をまじまじと見つめていると、まるでそれが吉報であるかのように言う。
「まぁこんなもんだよ。別に付き合った人とずーっと一緒に居なきゃいけないってわけでも無いんだし?」
それも一理ある。あるけれど納得はできない。
ゲームを再開した姉がキャラクターを操作し、ラスボスを倒す。物語が終わり、スタッフロールが流れる。そうして再びタイトルが表示され姫は再び攫われる。
「久しぶりにやると楽しかったなー」
クリアして満足気な姉がゲームを終了してテレビを点けると、隣町に新規オープンしたという水族館の特集が組まれていた。姉によると行こうとしていた水族館はここだったそうだ。
「そうだ。チケット二枚、要る? 捨てるのもったいないし」
姉からチケットを手渡される。チケットにはパノラマ水槽の写真が使われている。二枚の長方形の中でエイが浮かんでいる。丁度テレビにも悠々と泳ぐエイの姿が映し出されている。
「誰か誘っていきなよ。樹君とか。……いつもお世話になってるんでしょ」
浮遊したまま動かない二匹のエイを見つめながら、私は思考する。これを渡して、果たして樹は喜んでくれるだろうか。一緒に来てくれるだろうか。
熟考の末チケットを手に取る。明日にでも樹に渡そう。もしも断られてしまったら……もしもそうなったらその時は……捨てよう。
チケットをうまく処分できた姉はにっこり笑いかけると立ち上がり夕食の準備のためにキッチンへと向かう。私はお風呂に入ることにする。脱衣所でさっさと服を脱いで浴槽に浸かる。
はぁー、と大きく息を吐いて天井を見上げる。身体を温かいお湯が包む。湯気で視界が白く染まる。
……樹と出会ったのは、小学三年生の頃だ。下校中、通学路を歩いていた時に声をかけられたことがきっかけだったっけ。
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