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1/fのゆらぎ
●アンディの場合
波に磨かれた砂が心地よいホワイトノイズを奏でる。1/fのゆらぎは胎児の心音に相似する。寄せては返すざわめきは命の鼓動を刻み有史以来ずっと積み重ねられた悠久の営みを未来へ未来へとつないでいく。汲めども尽きぬ遠い祖先の記憶を乗せてこれまでの歴史のすべてを生きてきた。時に確かな記しを刻み付ける。音は主張する。これからも生きていく。これから生きろ。これからも、それは変わらない。
その先に、この世界に生きられる。
俺は、この先もずっと。
ここではない。世界ではない。
ここは、俺の居場所。
その先は、きっと、この先も、きっと――。そこに俺はいる。
●ベティーの場合
徹頭徹尾ショッキングピンクに統一された艶姿は彩なんて言葉じゃ物足りない。立てば芍薬歩けば牡丹なんて消極すぎて失礼な表現だ。こびへつらいや下卑を極限までそぎ落とした立ち姿だった。
「女でなくて悪いか」
減らず口がいう。
「君の粗暴は知っている。だがこの期に及んで言い切ってしまった。気の毒だが」
自分の言葉にいら立ちながら俺はどこか愉快だった。
「俺って昔から謙虚だよ。いやマジ。心からそれを言えるから。俺、間違ってる?」
しばし沈黙の後「すいません、無理です」
「そう言うと思ったよ!」
彼は二の句を継げず去った。俺は怒りを抑えて、
「このままじゃ話になんない!」
「お前が女だったら誰も言えないような言い訳だ!」
俺は言葉を絞り出す。自分が言っても仕方ないことを俺がそうしたいという方が無理しているということに見えた。
「俺に文句を言わないでくれる。…………俺は自分の価値観を他人に押し付けてしまって、誰にも言い返せないんです………だから言ってみたら?」
「あー、分かったよ。誰かに頼み込むのもいいが、俺の価値観を、俺の意見を聞いて欲しいんだ。俺の価値観なんざお前も自分なりに聞いてくれればいいさ」
彼は怒り出す。この際なので俺は言うことにした。
「頼む、俺を認めてくれ」
「お、お前、何を。俺はもう何も言わないもんですから、本当に何も俺に言わないでください」
「言ったよ!これを。俺の価値観を代弁してくれたようだ!」
そう言って彼は何も答えず、笑った。この場で一番笑ったのは彼だった。
俺は続けろという意思を感じた。
「この場はそういう雰囲気だからな。だから、今から俺は決める!なんでもいいので、それが誰であるかを聞いてみてくれ。お前の価値観は俺にはどうしても言えない!だから、俺のこの価値観の話、聞き遂げてくれ」
「そんな、お前は俺にこんなことして!いや、しかし………」
「おい馬鹿野郎、聞いているのか。なら俺の価値観を言うだけでもいい。俺たちはここにいても、お前はそこから逃げても自由だ!」
俺は立ち上がり、拳で自分の胸を叩いた。
彼の方を俺は振り向いた。
「俺は、俺は間違ってる。間違っている部分は全て消して、自分の全てを賭けてやり直す。それで、俺は絶対にそんなことは思わない。だから………」
俺は彼の方に歩み寄り、両手で彼の顔をこつん、と殴った。
「俺は!俺は間違っていや、今も、それを続けている。だから、これは俺が勝手に言っているだけだろう!そんなこと言うなら話が余計なことになってしまう!俺は、俺は………」
そうして、俺は言った。
「俺はまだ、何も言ってねえ!」
俺は叫んだ後、その場にうずくまった。
そして、涙がこぼれた。
「ああ……ごめんなさい。俺が悪いです。俺はやっぱり悪いことをしましたね。だから許してください。許してください……」
俺は泣き続けた。
「君が正しい。君は確かに自分の考えを持っているが、その正しさが必ずしも人を救うとは限らないのだ。だが私は思う、自分の意見を言うことが大事なんだ。それはどんな人間でも自分の思いや考えを否定されたら嫌だものなのだ。そして、それを誰かに伝えることで人は変われると思うぞ」
「はい……。そうですね……。そうかもしれません……。だけど、今の俺にとってはどうでもいいんです……。そんなこと……。今はただひたすら泣いているだけです……。お願いします、このまま放っておいて下さい……。」
そうして、
「俺は……間違っているんですか?いや、そもそも俺の考えなんて誰も分かってくれないでしょう……。だから……俺は……」
「お前の言う通りかもしれないな。私だって人の考えていることなど分からない。だから……」
「俺は……もう……疲れました……。」
そう言って、彼は立ち去ろうとした。
その時、彼が彼の手を握った。
彼が振り返ると、彼は微笑んでいた。
その瞬間に彼は恋に落ちてしまった。
●コリンの場合
俺は彼を愛していた。
彼は俺を愛していた。
だが、彼はもういない。
あの時、彼は言った。
私の心はあなたにあるけど、あなたの心がどこに向いているかは知らないわ。
彼は死んだ。
俺は今でも後悔している。
もっと優しくしてやればよかった。
俺の心の痛みを癒してくれるものは何一つなかった。
そうして、俺はこの世界から消えた。
だが、世界は俺を必要としている。
俺を必要とする世界のために、俺がいる。
世界よ、俺を呼べ。
世界よ、俺を救え。
世界よ、俺を守れ。
俺が世界を救い続ける限り、世界は俺を守り続ける。
俺が世界を守る限り、世界は俺を生かす。
俺は世界に生かされている。
俺は、この世界に生きている。
俺が、この世界で生きていく。
俺は、俺が生きるこの世界が好きだ。
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