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「何かちょっと調子悪いみたいなんだよ三沢っち。里中ちゃんちょっと早めに来てくれて助かった」
杉本さんは私にそう言った後、三沢君に「引き継ぎは俺がするから、もう上がんなよ」と声をかけた。
熱でもあるのか。それとも腹痛だろうか。胃の辺りを押さえている。
すみませんと杉本さんに頭を下げ、体を折り曲げるようにしてカウンターに入ってきた。レジ前の細い通路で三沢君とすれ違う。苦しそうな息づかいが聞こえた。
「あの、……大丈夫ですか?」
思わず声をかけると、三沢君は立ち止まり、少し潤んだ赤い目で私を見つめ、低く、ゆっくり、落ち着いた声で返してくれた。
「だいじょうぶ。ありがとう」
胸の奥がわずかに震えた。
今まで聞いた、幾つかの三沢君の余所余所しい声とはまるで違った声。なんと言えばいいのだろう、よそ行きではない、彼本来の声を聞いてしまった気がした。三沢君が部屋の奥に消えるまで、私はその背中をただ見送った。
杉本さんに宅配便等の簡単な伝達をうけ、仕事を開始してからも、モゾモゾした感覚はしばらく続いた。さっき一瞬聞いただけの、三沢君の深みのある声が、私の中でやたらとざわめく。
そのうち、二組の客が入って来て、レジ対応している間に、黒ずくめの私服に着替えた細い影がバックルームから出て来て、少しふらつきながら店外に消えて行った。倒れずにちゃんと家に帰れるだろうかと心配しつつ、ただ視線だけで見送った。
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