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 裏茶屋での一件から数日経った。  あの日の夜は身体が全く動かなくて、布団にうつ伏せで力尽きていた。  起きたら起きたで(おいど)に違和感があるやら、恥ずかしくて夢夏の顔をまともに見れないやら、散々だった。  どうにか店に戻れば、朝餉を食べていたおももに「お泊まりずるいなの!」と言われた。  幸いにも、何をしていたか気付かれなかったので、胸を撫で下ろした。  恋する相手に兄の私が抱かれたと知れば、乱心してしまいそうだ。  おももは口より先に手が出るところもあるので、気を付けてあげないと。こういうところは「おももは、お父様似やの」と母様が言っていたことを思い出した。  土間に積まれた葛籠(つづら)を一つずつ車に運ぶ。これは植木屋のもので、こっちは小見世に運ぶもので……。 「千歳。これを伊織屋に運んでください」 「え、伊織屋に、ですか?」 「何か問題でも? おももと共に伊織屋に行く約束をしてたんでしょう?」 「ちぃにいさま! 今日こそは連れてってなの! もも、夢夏せんせに会いたいなの!」  おももが袖を引っ張ってくる。  父様の言うことには従わないと……、母様に叱られる。それに、おももと約束もしていた。伊織屋に連れて行ってやらないと拗ねて何かやらかすかもしれない。  薬草の入った葛籠が積まれた車を引く。大門でおももは通行手形を見せていた。  私は男だから必要無いが、女には手形が必要だ。あんまりにも目立つ色をしているから、門番に覚えられているだろうし、女郎の足抜けと間違えられることは無いが規則だから仕方ない。  見返り柳を通り過ぎ、堤をひたすら歩いていく。  裏茶屋での一件以来、夢夏とはろくに会っていない。店に訪ねてくることもあったが、おももを押し付けて、私はお勤めに出るふりをしていた。  またあんなことされたら、と思うと、身体が変に熱くなる。首を横に振る。  駄目だ。思い出したら、腹がむずむずする。 「夢夏せんせー!」 「おっ! おももー! 遊びに来てくれたのか! 千歳おにぃも」 「っ、私はお勤めです。遊びに来た訳じゃありません」 「あいあい。相変わらず、千歳おにぃは真面目だなぁ」 「ちぃにいさまは、真面目なところがお父様そっくりってお母様が言うてたなの」  夢夏とおももが仲睦まじく話している間に、荷を下ろしていく。  薬草の香りがする。  あの夜に嗅いだものと同じ匂いがする。身体が疼く。 「千歳おにぃ。それ、こっちにおくれ。無くなったとこなんだ」 「わかりました」 「ほい。あんがと! わー、千歳おにぃの手すべすべだ」 「っ、ぁ! や、やめてください!」 「最近来てくれないから、わっちは寂しかったでありんすー。なんつって!」  手の甲を指先でつーっと撫でられ、変な声が出た。  心の臓の鼓動が速いまんまだ。  またあの夜のことを思い出して、気恥ずかしくなる。夢夏は何も考えていないのか、わざとか、わからない。  おももがぞっこんに惚れている男だから、悪いように扱えない。伊織屋とは仲良くさせてもらわないと。 「あり? 二人とも来てたのかい? 夢夏も言ってくれたら良いんだよ。お茶くらい出すんだからね」 「おももが離してくれないから、呼びにもいけねぇよ!」 「あはは。母ちゃんによく似て、惚れた男から離れようとしないねぇ」  夢夏の母様、おはるさんがお茶を出してくれた。  お茶を出してもらったら、長居しないといけない。  父様からここ以外の荷を任されていないから、逃げ場もない。伊織屋で遊んでこいって意味だったかもしれない。  でも、私は……あの夜のことを思い出してしまうから、早く帰りたい。  夢夏は何にも感じないのか? あんなに私を乱しておいて……、何も。何も考えずに、おももと指を使って四十八手の手遊びをしているのか? 「ねえねえ、夢夏せんせ。いつ、ももと一緒になってくれるなの?」 「そりゃあ、おももの父ちゃん母ちゃんと話してからにしなきゃ」 「もも、早く、夢夏せんせのまらでいっぱい愛してほしいなの」 「祝言あげたらいっぱいしよ」  指を絡めているのを見ているだけなのに、身体が変に熱くなる。  おももは祝言をあげる日を楽しみにしている。それがいつになるかはわかっていない。  私のことは、何だったんだろうか。  「好きだ」とか「おれのモノになって」とか言ったくせに。おももとばかり話して。 「おもも。ちょいと養生所に行って、おれの父ちゃんの勤めを見てきてくんな」 「はい! わかったなの!」  おももがとてとて歩いていく。  私もついて行こうとしたら、腕をガシッと掴まれた。 「千歳おにぃは、ここにいて。最近会いに来てくんねぇから、おれ、寂しかったんだよ。おれが会いに行ってもすぐどっかに行っちまうし」 「そ、れは…………」  ぐるん、と身体を反転させられる。茶を煮詰めたような赤い瞳と見つめ合う。私の父様よりは落ち着いた色をした赤い目。おはるさんにそっくりな瞳だ。  両手で頬を包まれる。鼓動が速まる。息が乱れる。  どっ、どっ、どっ、どっ、早鐘を打つ胸が苦しい。 「んっ、ンンッ、ん……! ん、ぁ……ーーふ、ぅンッ!」  唇を重ねられて、舌を吸われて、身体が痺れてくる。押し付けられた腰がひどく熱い。  誰がいつ来てもおかしくない場所で、こんなことをすべきではないのに。  逃げられない。力が入らない。視界が滲んでいく。身体が熱くなる。 「千歳おにぃ。奥、上がって。店は誰かに任せっから」  頭がくらくらする。  手を引かれるままに、店の奥へ。階段を上って、布団が敷かれた部屋に連れ込まれる。 「ちょっと待ってて。おれ、人払いしてくっから!」 「ゅ、夢夏、待って! 私は……」  話を聞かずに行ってしまった。人払いって何だ。お勤めの途中に、何してるんだ。  身体が変に熱い。腹がむずむずする。このままじゃ、また、あの夜のようなことをされる。  頭ではわかっているのに、身体が動かない。
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