きっかけ

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「えー、課長、私が隣じゃ、不満ですか?」 「いや、そんなことは。でも……」 ふくれっつらをしてみせる桃子のぽってりした唇は、グロスで艶かしさが増していて、職場とはまた違って見えて、ドキリとした。仕事をしている時は、これまで特に意識をしたことはない。 「いいじゃないですか、今夜はゆっくり飲みましょうよ、私がお付き合いしますので」 桃子は店員を呼んで、新しいビールを注文していた。 「あらためて課長、お疲れ様でした。仕事の成功を祝して乾杯しましょう!」 「え、あ、うん」 「乾杯!」 「乾杯!」 居酒屋は貸切にしてあったので、あちこちにグループができていて、みんな楽しそうに盛り上がっていた。若い魅力的な女の(桃子)に、“憧れの男性”と言われたことで、いつもより気分が高揚して、ビールも美味しかった。 当たり障りのない世間話をしていたら、ふと桃子の視線が僕の左手を見ていることに気づいた。どうやら、プラチナの結婚指輪を見ているようだ。 「課長って、愛妻家なんですってね。奥様ってどんな人なんですか?」 上目遣いで僕の目を覗き込む桃子からは、ほんのり甘い匂いがして、なんだかクラッとした。 ___これが若いってことか? 結婚してからずっと、妻以外の女性とこんなに近くに接したことはない。久しぶりの艶めかしい感覚に、トクンと脈が上がったことを悟られないように落ち着いて答える。 「愛妻家?特にそんなことはないよ、まぁ、普通の夫だよ、そして娘2人の普通の父親だ。多分……その…キミのお父さんと変わらないと思うよ」 25歳の女の子から見たら、40歳の僕など父親に近いだろう。 「えー、やぁだ!うちのお父さんは、もうほんっとにオヤジですから。課長みたいにセンスもよくないし、仕事も万年平社員ですよ」 「それでも、斉藤さんはこんなにきちんと育ってるんだから、ちゃんと立派なお父さんなんだよ」 そんな話をしていたら、ニ人の男性部下たちがやってきた。どうやら桃子がお目当てらしい。一人は背も高くスッキリした顔立ちで仕事もできるイケメンの(やなぎ)壱成(いっせい)、もう一人は柔らかい物腰で人当たりも良く、そして笑いを取って場を和ませるのが得意な丸山(まるやま)(たける)。 どちらも社内の若い子に人気の二人だ。
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