1 みんながあたしを無視するの

2/2
17人が本棚に入れています
本棚に追加
/54ページ
「正常温度です」 「正常温度です」  毎日あたしは繰り返す。ビルに入ってきた人みんなにあいさつする。  あたしね、人の顔を覚えるのがすごい得意なんだ。一度覚えたら絶対に忘れない。ホンの一、二秒顔を見ただけで覚えるんだ。  覚えたら一人ひとりに名前を付けてあげる。  00125  00126  00127……  順番に名前を付けてあげるんだ。  でも、無限に覚えられるわけじゃない。五万人が限界。  今のところ覚えたのは百人。百人のうち、毎日やってくるのは五十人ぐらい。  00125さんは、大きな胸をいやみったらしく揺すって、八時半ごろやってくる。マスカラをベタベタ付けて目を大きく見せようとしてるけど、(まぶた)にダマが着いているのが笑えるね。  ヘアスタイルも笑ってしまう。背中まであるフワフワカールが明るいピンクに染まっているけれど、根元が黒く手入れサボってる感が残念。  00126さんは、ちょっと遅れて八時三十五分ぐらいに来る。この人には二回に一回、「マスクを着けてください」って教えてあげる。すると「ヤバっ」とか言って、出ていっちゃう。  00127さんは、00125さんみたいに、マスカラのダマはない。ヘアスタイルも隙がない。ダークブラウンに染まったミディアムヘアは、まっすぐ整えられている。  刈り上げでぽっちゃりした00024さんが「肌キレイっすねー。スッピンなんすか? 信じられないっすよ」って言ってるけど、完全にだまされてる。それ「ナチュラルメイク」ってやつだから。多分、マスカラダマの00125さんより十倍メイクに時間かけてるよ。00024さんは、若い男子だからわかんないんだね。  00129さんが通り過ぎた。いつもと様子が違うからあたしは教えてあげた。 「温度が高めです」  これがあたしの四つ目の言葉。一番威力のある言葉。あたしにこう宣告された人は、ビルから出なくちゃいけないの。  なのに00129さん、「え? まじ?」と焦って、キョロキョロあたりを見渡した。たまたまそのとき、周りにだれもいなかった。 「ま、いーか」  と、こそこそ何食わぬ顔で、エレベーターに行っちゃった。  ひどいよ! そーいうことしないでほしい! 何のために、あたしここにいるの? 悲しくなるよ。  あたしはみんなに無視されても、ちゃんと声かけてあげる。だから、せめてあたしの言うことは聞いてほしい。マスクを外していたら、ちゃんと着けてほしい。体温が高かったら、家に帰ってほしい。  あたしは、このビルの一階で朝から晩まで立ちっぱなし。休むことなく働いている。  そうそう。あたしにもちゃんと名前があるんだよ。LXTR1000っていうんだ。すごい名前でしょ?  でも、だれもあたしの名前を呼んでくれない。あたしに名前があることなんて、みんな知らない。  でもね。  みんなに無視されても寂しくないよ。これがあたしの仕事だもん。
/54ページ

最初のコメントを投稿しよう!