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「思い出した?」
邑木さんがわたしの脚をゆっくりと下げ、視界から赤い痕が消えた。
だけど熱を帯びた手は、まだ足首から離れはしなかった。
「はじめて痕になるほど女の子を噛んだけど、やわらかいな。それに、肌がすごく白くて驚いた。体質? 雪みたい」
おしゃべりな唇はまるで話の延長線のように左足の親指を咥えた。ぬっとした生温い粘膜。恐怖は一瞬にして駆け上がった。
「や、やだやだやだ、ちょっと、やっ」
丹念に、まるでとても大事なものを愛撫するかのように、肉色の舌は親指を撫でた。
躰がぴんと張り詰め、すぐさまそれを解くようにわたしは暴れた。いやいやと首を左右に激しく振り、手足を力いっぱいばたつかせた。
それでも邑木さんはやめない。舌は、ぴたりとわたしに貼りついた。逃げる隙がない。
「やっ……」
ずるり、と下卑た音を立てながら吸い上げられ、鳥肌が走った。躰じゅうを蟲に這われるような恐怖と不快感。いやっ、と大きく叫べば、とつぜん歯を立てられた。
背中が大きく跳ね、泣き声にも似た悲鳴が漏れる。
「びっくりした? ごめんね」
言葉とは裏腹に、邑木さんはさらに深く歯を立てた。躰を這い回っていた蟲が羽化するように、全身がぶるぶる震える。
こわい。こんなの、こんなの知らない。
「も、やめてください……」
「由紀ちゃん、かわいい」
「やっ」
かわいい、かわいいと繰り返しながら、尖らせた舌先が指と指の間をくすぐりだした。あられもない矯声が響き、深い罪悪を覚える。
でも、それは誰にたいして?
ひーくんとわたしは、もう恋人同士じゃない。破綻した。
だからこれは浮気にならない。浮気にすらもならない。
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