1 ― 雪を欺いて【6.5 更新】

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「おかしいと思ってる?」 「はい」  素直だな、と邑木さんは軽く笑った。 「人に決められた結婚なんだ。彼女と俺は、お互いにほかの相手と自由にしていいことになってる。妊娠とか、そういうことさえ気をつければ」 「決められた結婚って、許嫁(いいなずけ)とかそういう関係ですか」 「まあ、そんなところ」 「邑木さん、パンやさんですよね?」  まちのパンやさん。  従兄の(やす)くんのバーではじめて言葉を交わしたとき、仕事はまちのパンやさんだと邑木さんは言った。  こんな嫌味っぽい英国スーツにコツコツと(かかと)の鳴る尖った革靴を履いたまちのパンやさんなんているものか。  わたしは眉を寄せてしまいそうになるのを堪えながら、そうなんですね、と無難に受け流した。  胡散臭い(ひと)。近づくな危険。  警告音はあのときから耐えることなく鳴っている。 「うん。まちのパンやさんだよ」  邑木さんは臆することなく言った。  まちのパンやさんに許嫁なんているだろうか。そういうのは大企業だとか代々伝わる老舗のなんとかだとか、そういう世界の話じゃないだろうか。  ものすごく適当なことを言われている気がする。
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