9 ― それはあたらよ

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つまみ上げるとあの(ひと)の香りが漂った。 甘く、攻撃的なあの(ひと)の香り。 きっとこの香水には、なにかが絶妙な具合に加えられている。 嗅いだらひとたび、気がおかしくなってしまうような、そういうものが。 こんなことをしたら気持ち悪い人間だ。 まるで、変態だ。 理性がわたしに警告する。 だけど本能がハンカチを握る手を惑わす。 理性はぐらり、と傾いた。 ハンカチが鼻先に触れ、あの(ひと)の香りを吸い込む。 鼻腔を突き、胸をするりと流れ、わたしの中に浸透していく。 どうしてこんなことをしているのだろう。 こんなの、気持ち悪い人間のすることだ。 罪悪感を覆うようにリビングの灯りを落とした。 熱病に犯されるようにソファーにうずくまり、ハンカチをきゅっと握りしめる。 邑木さん。 唇から、ふわりと名前がこぼれていく。 まるでなにかに導かれるように、もう一度、あの(ひと)の香りを吸い込んだ。 そうしてわたしの中は完璧にあの(ひと)で染まった。
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