1 ― 雪を欺いて【6.5 更新】

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「たいしたことじゃないです。別れただけです」  別れた。そう口にした直後、せわしなく騒ぎだした心臓に、自分で驚いた。  わかりきった事実をただ口にしただけなのに、こんなにも動揺してしまうのか。情けない。なんて情けなくて、みっともないのだろう。  棄ててしまいたい、なにもかも。  みっともない自分も、余計な想いも、すべてすべて棄ててしまいたい。  邑木さんは返事もまばたきもせず、じっとわたしを見つめた。  男の人にしては大きな瞳に、くっきりとした二重。左右対称にきちんと整えられた短い顎髭と、こだわりのありそうな眼鏡のフレームに負けないくらいの目力がある(ひと)だと、はじめて会ったときから思っていた。  だけどそこに愛嬌はない。あるのは有無を言わさぬような力強さと、少しの圧迫感。  その視線から逃れたくて 「あったかいんですね」  ピロートークなんてしたくなかったのに、口走ってしまった。邑木さんは不思議そうにまばたきする。 「あったかい?」 「手。邑木さんの手、あたたかかったです」  ひーくんの手はいつもひやっとして、女の子のように華奢だった。悪さなんてできなさそうな、少しばかり頼りない手。  見かけなんて見かけでしかないのだと、あの手に思い知らされた。あの手に容易く裏切られた。
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