65人が本棚に入れています
本棚に追加
「たいしたことじゃないです。別れただけです」
別れた。そう口にした直後、せわしなく騒ぎだした心臓に、自分で驚いた。
わかりきった事実をただ口にしただけなのに、こんなにも動揺してしまうのか。情けない。なんて情けなくて、みっともないのだろう。
棄ててしまいたい、なにもかも。
みっともない自分も、余計な想いも、すべてすべて棄ててしまいたい。
邑木さんは返事もまばたきもせず、じっとわたしを見つめた。
男の人にしては大きな瞳に、くっきりとした二重。左右対称にきちんと整えられた短い顎髭と、こだわりのありそうな眼鏡のフレームに負けないくらいの目力がある男だと、はじめて会ったときから思っていた。
だけどそこに愛嬌はない。あるのは有無を言わさぬような力強さと、少しの圧迫感。
その視線から逃れたくて
「あったかいんですね」
ピロートークなんてしたくなかったのに、口走ってしまった。邑木さんは不思議そうにまばたきする。
「あったかい?」
「手。邑木さんの手、あたたかかったです」
ひーくんの手はいつもひやっとして、女の子のように華奢だった。悪さなんてできなさそうな、少しばかり頼りない手。
見かけなんて見かけでしかないのだと、あの手に思い知らされた。あの手に容易く裏切られた。
最初のコメントを投稿しよう!