1 ― 雪を欺いて【6.5 更新】

7/14
前へ
/187ページ
次へ
「そうか。自分じゃわからないものだな」  手のひらをしげしげと眺める邑木さんを視界で捉えながら、ああ。わたしはこの(ひと)のこの手に抱かれたんだな、と他人事のように思った。  嫌々したわけでも酩酊していたわけでもないのに、記憶はひどく曖昧で断片的だった。それでもたしかに躰には、その感覚が残っていた。 「由紀(ゆき)ちゃんの手は、ちいさいな。身長のわりに、手も足もちいさい」  あたたかい指先が、手の甲に触れた。  わたしはそれを一瞥することなく、身を引くこともせず、やっぱり他人事のように感じていた。五つの指先は形や感触をたしかめるように、ゆっくりと手の甲を這っていく。  わたしはぼんやりと昨夜を辿った。  ――邑木さん、ですよね。  ぐうぜん出会った街角、傾く白い月。まだ知らなかったその手を握り、わたしは切羽詰まったようにベタな誘い文句を口にした。驚いたように見開かれた目は、ビー玉のように透明に光った。  ――後悔、しない?  堕ちていくように上昇するエレベーターのなかで訊かれ、頷くとすぐさま抱き寄せられた。こんなところでこんなことをする(ひと)だったのか、と冷静に思った。  そうして熱を帯びた獣のような厚い肌は、わたしをまるまる呑みこんだ。漂う香りも触れ合う肌も、ひーくんとはまったく違うものだった――。  そんなふうに記憶を繋ぎ合わせていると、手の甲を撫でる指先は角度を増し、爪先で撫でられた。滑らかで引っ掛かりのない、完璧な爪先。  生活感のないホテルライクなベッドルームといい、几帳面そうな身なりといい、わたしの知らない種類の(ひと)だと改めて思う。
/187ページ

最初のコメントを投稿しよう!

65人が本棚に入れています
本棚に追加