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「昨日、少し驚いた」
少しも驚いてなさそうに言われ、わたしは「なにがですか」と返した。
「きみが、あんなことを言うから」
「あんなこと?」
「そう、あんなこと」
「……あんなことって?」
不意に、枷をかけるように両手首をひっ掴まれ、そのまま頭上へ引き上げられた。
獣の目に捕らえられ、ふたり分の躰がベッドへどさりと沈む。
片手だけで難なく両手首を掴まれたことに驚きつつも、わたしは冷静だった。俯瞰して、天井から見下ろしているような感覚。手首に立てられた爪先が、静脈を掴む。
「お願いだから、ひどくして。俺にそう言ったこと、覚えてないかな」
「わたし、そんなこと」
「言ったよ。何度も、何度も」
邑木さんはわたしの左足首を掴むと、弧を描くように持ち上げた。
白い、白い腿の内側に刻まれた、赤い痕。そこにはたしかに昨夜の痕跡があった。
――白すぎるね、由紀は。
ひーくんは、よくそうやって口にした。まだ踏み荒らされていない雪のようだ、と。
――気持ちいい。由紀の肌、白くてすべすべして、すごく好き。
――ひーくん、もっとちゃんと髭剃ってよ。ちくちくして、すごくやだ。
気持ちよく疲れた躰でシーツにくるまってじゃれ合い、何度言ったかわからないお決まりのフレーズをお互いに口にした。
ひーくんとわたしには、噛んだり噛まれたりなんてものはなかった。あったのは陽だまりのような穏やかさだけだった。
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