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会話泥棒
婚活って胃が痛くなるものだよ、とどうして誰も教えてくれなかったんだろう。
目の前に座る男性は、一人で延々と喋り続けている。
こういうの、機関銃のように、とか形容するんだろうか。いや、責め立てられているわけではないから、機関銃ではないのかもな。
そんなことをぼんやり思いながら、私は男性の話にテキトーに、はい、はい、と頷いている。頷くタイミングを外しているかもしれないが。
マッチングアプリは手応えが良くなかった。表示される顔は加工されているし、情報に微妙な偽りが多い。
やはりきちんとあいだに人が介入しないといけない。
そう思い、結婚相談所に入会した。
私、結婚願望なんて、あったっけ?
そんな気持ちも時々、頭をよぎるが、まあいい。両親も友達も婚活しろ、婚活しろ、とうるさいから、きっと婚活することは今の私に必要なこと、もしくは正しいことなのだろう。
三十二歳、永野卯月。婚活してます!
「永野さんは誕生日いつだっけ」
「誕生日は四月です。だから名前がうづ」
「僕はね、誕生日、十二月なんだよ。十二月ってクリスマスがあるでしょ。子供の頃からさ~、なんたらかんたら……」
村田さんは私が最後まで話し終わらないうちに、私の声に被せるように、大きく太い声で、自分の話を始めた。
今日初めて二人で会って、三時間ほど一緒に過ごしているが、そのうち二時間五十分くらいは村田さんが喋っている。
私が特別無口なわけではない。
婚活なのだから、お互いに相手を知り、自分を知ってもらわなければならない。それが目的で、今、二人きりで会っているはずだ。
村田さんはいわゆる『会話泥棒』の癖があるようだ。
誰かが話をしていると、それを最後まで聞かずに遮ったり、横取りしたりして、自分が話し出すことを『会話泥棒』という。
その『会話泥棒』はたいてい、本人に悪気がない、話は非常につまらない、自慢か自分語りに終始する、などの特徴がある。
会ってからずっと、私がなにか少し話すと、村田さんは
「ああ、そうなんだ。僕の場合はね」
と話をすぐに引き取ってしまう。
まるで枕詞のように、話の最初の言葉が決まっている。
大変申し訳ないが、村田さんの話はまったくおもしろくない。それをいかにも、興味あります、といったふうに聞き続けなければならない。
会って最初の一時間くらいは、きちんと聞いていたと思う。でもどうでもいい(と思ってしまった)村田さんの自慢話、幼少期の思い出は続く、続く、続く……。
そのうち、私は貼り付けられたような笑顔で、コクリ、コクリ、と定期的に首を動かして、頷いている素振りを見せることに集中するようになった。
なんだかさっきから胃が痛い。チクチク、チクチク、チクチク……。
こんなに気を遣うデートって……。
婚活とは、胃が痛くなるものである。
まさか二度目のデートのお誘いが来るとは。
結婚相談所からスマホにメッセージが届いたとき、
『残念ですが、村田様とはご縁がありませんでした』
と書いてあると思い込み、メッセージを開きもしなかった。
夜、結婚相談所から電話が来て
「永野様、できればお返事をいただきたいのですが」
と言われ、初めて村田さんからまたお誘いがあったことを知った。
私の愛想笑いに気づかなかったのだろうか。かなり長い時間、ぎこちない笑顔を作っていたけど。
私は少し考えてから
「わかりました。もう一度お会いします」
と応えた。
前回は村田さんは緊張のあまり、浮き足立ってしまい、『会話泥棒』をしてしまっただけかもしれない。次に会うときは緊張もほどけて、落ち着いて話せるかもしれない。
私はそう考えていた。
「僕は真面目でね、高校生のとき、父親に門限を七時に決められて。ずっと守ってたんだよ。彼女がいたんだけど、あ、その彼女はすごくきれいな子でね。放課後に彼女とデートしても、六時に送っていかなきゃならない。彼女の家から僕の家まで、自転車で一時間くらい。ちょっと離れてたから。でね、ある日、僕は校長室に来いって、呼び出されてね。いきなり停学だって怒鳴られてさ。夜、よその学校の生徒と喧嘩してボコボコにしたって言われて。やってねー、って言っても信じてもらえなくて。ホントにやってねー、門限七時だから、って。それで家に電話で確認してもらって、やっと信じてもらえてね。それから日曜日に彼女と出かけて、帰りに友達のところに寄ったんだよ。それが失敗だった。友達と彼女がいい仲になっちゃって、僕はフラれた。いやあ、本当にすごく好きだったんだよ。あの時、友達のところになんか寄らなきゃ良かった。失敗、失敗」
……終わりました?
村田さんのこの自分語りの前に、私はなんて言ったんだっけ。ああ、思い出した。
「結婚を前提におつきあいするなら、真面目でで思いやりのある方がいいです」
と言ったんだ。
その、真面目、というワードから『会話泥棒』していったのか。
きっと村田さんは私のことはプロフィールカードの内容くらいしか知らないんだろうな。
私は村田さんになんらかの助言をするべきだろうか、と考えた。
例えば
「相手の話を聞いたり、相手の気持ちを思いやったりするほうがいいですよ」
とか。
しかしそれはとても傲慢なことのように思えた。村田さんを見下しているのではないか、と。
だから私は何も言わなかった。
結婚相談所主催のパーティーは、年に三回行われる。
そのパーティで気に入った人と少し会話をして、次は二人で会いたいと思ったら、結婚相談所のスタッフさんに伝える。するとスタッフさんがあいだを取り持ってくれる。
また、そのパーティは同性同士での情報交換の場にもなっている。この情報交換はプロフィールカードよりよっぽど信憑性がある。
「あの人、会って話したら、プロフィールカードと全然違ったの。キレイ好きなんて書いてあるけど、病的だったの。私なんてバイ菌扱いされたのよ」
「あそこの窓際の人、お母さんが強烈な人だった」
などなど、次から次へと真実が明るみになる。
最初はお気に入りの男性をほかの女性に取られないために、偽のネガティブ情報を流しているのだろうか、と疑ったこともあったが、共に婚活をがんばっている『同志』のような結びつきを感じているからか、誰も汚い手は使わない。
こうして情報交換をしていると、男女共に群れを作ってしまい、婚活パーティが成り立たなくなるので、スタッフさん達は頻繁に声をかけて、群れを作らせないようにしている。
「さあさあ、あなた方に声をかけたいと、チラチラ窺っている紳士が何人もいらっしゃいますよ」
スタッフさんは会員をその気にさせるのがうまい。
集団に入ることが苦手な私は、庭に出られる、開け放した大きい扉のそばに一人で立ち尽くし、その様子を見ていた。
庭は芝生が敷き詰められていて、真ん中に小さい噴水があった。芝生の緑は陽の光を受けて眩しいほどに輝いている。
そのとき、飲み物のグラスを手に、庭に出ている会員さん達は十人以上いたと思う。
かすかに聞こえてきた、村田さん、という言葉に私は反応して、庭を見回した。
二人の女性が噴水の前で話していた。
最初はヒソヒソと小声だったのが、だんだん無意識に声が大きくなってしまったようだ。
「……だったのぉ。もうないわあ、村田さん」
「なにそれ~、オレ様アピール?」
「そうそう。熊のぬいぐるみに話しかけておけばいいのよ。ずーっと聞いてくれるよ」
「そんな男と結婚したら、毎日疲れる~」
それ、情報交換じゃなくて、悪口じゃない?
私はさすがに気分が悪くなり、その見知らぬ女性達にひと言言ってやろうと、庭に足を踏み入れた。
それは私が庭に出たのと、同時くらいだったと思う。
噴水の影から、男性が現れたのだ。
そのシルエットは見たことがあった。
村田さん……。
村田さんは早歩きで女性達の横を通りすぎ、建物の入口に向かって、俯き加減で歩いてきた。
私にも気づかない。
「むら……」
思わず声をかけてしまった。
村田さんは驚いて顔を上げ、私を認識すると、泣きそうな顔になって眉を下げ、苦笑した。
永野さんもそう思ってたんでしょ。
村田さんの心の声が聞こえた気がした。
村田さんは手にしていたグラスを受付カウンターに置き、会場を出ていった。
結婚相談所を退会して、四つの季節が過ぎていった。
婚活を辞めて、両親や友達にはずいぶん説得された。しかし私は婚活を再開しなかった。
今でも村田さんの泣きそうな顔が浮かんでくる。
あのパーティの日。
村田さんの悪口を言っていた女性達と、私は同じだと思った。
村田さんとデートをして、不満があったのだから、すぐに直接、本人に言えば良かったのだ。
「村田さん、『会話泥棒』してますよ。私は村田さんに最後まで話を聞いてほしい。私を知ってほしいんです」
と素直に言えば良かったのに。
伝え方。ただそれだけだったのだと、今ならわかる。
人を傷つけてしまったあとになって、やっとわかる。
秋の終わり。
通勤用のコートを買うために、私は一人で広いショッピングモールを歩いていた。
寒がりの私は冬用の下着を二枚重ねし、長袖Tシャツを着て、裏起毛の厚いパーカーを着る。そしてその上にコートを着たい。そうするとレディースのコートでは入らない。
そういうわけで、普段は素通りするメンズのお店に入った。しかしアウェー感しかない。店員さん、どうか私に声をかけないで。
そんな気持ちでウロウロしていた私は、試着室のカーテンがシャッと開く音に反応し、何気なく、そちらに視線を移した。
試着室から出てきたのは、村田さんだった。
近くにかわいらしい、小柄な女性がいて、二人は笑顔を交わしていた。
その様子は、ほんわかとしていた。
結婚相談所を退会するとき、村田さんがパーティの翌日に退会したと、スタッフさんが言っていた。
私は二回だけ村田さんとお茶をしたが、村田さんの笑顔をほんの一瞬も見たことがなかったことに、今更ながら気づいた。
私は村田さんに見つからないように、そっとお店から離れた。
幸せそうな村田さんの笑顔を見て、少しだけ、救われた気持ちになった。
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