第11章 東京ふたり暮らし・ver.羽有

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せっかく積み上げてきたものが一時の気の迷いのせいで全部台無しになってまたやり直し、みたいになるのは気の毒だよなと思ってた。でも。 この前に越智から聞いた話、同窓会幹事の子がたまたま交わしたっていうあのやり取りを思い出す。 少し煮詰まって、思いきって気分転換の旅にでも出てしばらく頭からピアノ関係のこと追い出して羽伸ばせば、あとはすっきり切り替えてまた頑張れる。っていうような状態とはもしかしたら違うのかな。 奥山くんに才能があるのかどうかもわたしにはわからない。いやよくは知らないながらも、確か国内では若手のピアニストの登竜門と言われてるコンクールで何位かに入賞してるって話だし、彼にピアノの才能がまるでないとはさすがに考えられない。 だけど、わたしにもわかる部分はある。もちろん音楽についてじゃないけど、空手をやってく上ではいろんな人を見たし自分で経験もした。 生まれつきの才能がゼロとかほんの少しならかえって問題もない。だけどなまじある程度以上にそれを持ち合わせてて、うっかりその才能を頼りに思いきって戦いの場に身を投じるとなったら、もうそこから話は簡単じゃない。 その人により授かった才能の分量も様々だし。原石だけ手許にあったとしてもその活かし方の上手い下手もある。場合によったら中途半端に天分があるだけにうすうす限界を感じても諦めがつかなくてずるずると泥沼に嵌ったりして、かえって悲惨な状態に陥るケースだって当然あるだろう。 見切りのつけどきが難しい。自分の持ち合わせてる才能のサイズと、人生や生活との折り合いの付け方で迷うっていう話なら。音楽のことは天から知らないわたしでも、奥山くんに何かしらちょっとは伝えられることがあるかもしれない。と改めて思った。 本人とその手の話をしたことが一回もないのは頼りない限りだが。送るメッセージがただただ毎回、みんな心配してます。今はどの辺りにいますか?身体に気をつけてどうか無事に戻ってきてください。だけじゃ変化がない。 現にわたしは一度も返信を受け取れてない。既読は相変わらずつくから、まるで無関心てわけでもないんだ。だけど、彼がなんでもいいから何か反応を返したくなるような言葉をこれまでかけられずにいた、ってのは。確かに事実だと認めざるを得ない。 だらだらと同じような文面を打ってときどき送るようじゃ何の効果も得られそうもないので、たまには自分の内側から何とか絞り出した言葉を使ってメッセージを考えてみようと思った。幸い、経過観察中とはいえだりあの方の情勢も今は落ち着いていることだし。 『無事でいてくれてると願ってこの文を送ります。わたしに奥山くんの気持ちが想像できるとか言い出すつもりはないけど』 なんか長文になっちゃいそうだな。遊びに来てる越智とだりあが楽しげに狭いキッチンに並んで立って、二人で協力しながら何か作ってる。 部屋の片隅にもたれて座り、そのさざめきに耳を傾けてなんでこんなに賑やかな部屋になっちゃったかなぁ、と半分うんざりしながら次の言葉を探して頭をフル回転させる。レポートとか試験以外にプライベートで文章書くことなんかまじでないから、このところずっと。結構難しい。 『これまで、ピアノから離れてゆっくり休んで元気になったらまた戻ればいい。と思ってたしそれができればもちろん問題ないけど。必ずしも絶対元のところに戻らなくてもいいんじゃないか、って考えもわたしの中ではある』 やばい、無茶無茶長くなりそう。全部読んでもらえるかな、と危惧しつつ一旦そこで区切って送信した。続きの文をさらに打ち込む。 『奥山くんに才能があるのは多分間違いないと思う。ピアノ聴いたことないし聴いても判別できないけどわたしには。でも、だからといってその才能をどう使うかは他人には決められないと思う。それは奥山くんが自分で決めていい。誰が何て言おうとも』 打ち込んでる途中でさっき送ったメッセージの横にぽん、と既読の印がついた。今まさに読んでくれてるんだ、海の向こうとこっちで。 わたしたちは頼りない細い線で繋がってる。 『すごい才能が活かされないのは人類の喪失とかいうけど。そこまで個人が背負い込む必要はないと思う。自分の話で恐縮だけどわたしは大学で空手を続けなかった。高校の部活の顧問や周りからはいろいろ言われないこともなかったけど後悔はまだしてない。わたしの才能の使い方は自分で納得いくように決めようと思った。誰でもそうしていいんだって考えてる。才能の大きさとかすごさに関係なく、どう扱うかは本人にしか決められないと思うし』 こんなにずらずら書いて読んでもらえるかな。と思いつつまた区切って送信。途端に即、既読がつく。 『音楽のこと全然わからなくてごめん。でも、通じるかどうかわからないけどわたしもいろいろ考えたから話を聞くことはできると思う。気持ちが落ち着いて、気が向いたら時間のあるときに会おう。奥山くんが少しでも楽になれるなら何でも協力するつもりでいます』 送信、また既読。そこでじっと待ったけど、やっぱり結局返信は来なかった。
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