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考え考えゆっくりと言葉を選ぶ。
「…まず、お母さんの彼氏が取引してる相手は阪口本人じゃなくてその父親の会社だってこと。阪口ならそんな理由で感情的な腹いせを仕事に持ち込んでくる可能性は確かにゼロじゃないかもだけど…。息子の彼女絡みの話で、しかもその母親の交際相手って関係性でしょ?八つ当たりを持ち込んでわざわざ仕返ししてくる対象としては。さすがに感情の距離が遠すぎると思う」
「…でも、考えてみれば。会社に就職するときも、お父さんの紹介で。コネ使っちゃったし…」
首をうなだれたままぼそぼそ独白するだりあ。うん、それはまあ。そうなんだけどさ。
当時は将来上手くいかなくなることなんて思い至りもしなかったんだろうな。幸せの絶頂にいるときに最悪の事態を計算に入れとけ、なんてこのタイプの子に言うのは何だなとか思ってアドバイスを控えた自分への反省もあるけど。
あのときそんな風にぶっちゃけた助言をしたとしてもまあどうせ聞き入れられなかっただろうし。今になって悔やんでも始まらない。これだけの経験をしたらさすがにしっかり深く心に刻まれるだろう、と考えて未来への教訓とするより他ない。
「こういうことが万一ないとも限らないから、就職に私的なコネクション使うのにはやっぱり慎重になった方がいいんだろうね。そこは確かに向こうのお父さんからしたら。自分の息子が彼女に何したか、知らない状態ならそりゃ単に常識なしの娘だとしか思えないでしょ。でもまあ、わざわざあえてそれを直接説明しに行くのも。どうかと思うから」
地元の最有力者の面識のないおじさんのところにいきなり赴いて、溺愛してる息子が彼女にしていた性的虐待をつぶさにそのまま全部告げ口するなんて。こっちとしても酷い罰ゲームだ。そこまでしても信用してくれる可能性も低いし、残念ながら証拠はこっちの手の中にはないわけで。
「そこは諦めて、恩知らずの非常識な子だったなと思われときなよ。弁解するだけエネルギーが勿体ない、どうせ二度と会わない相手だし。万一阪口とその手先の奴がこっちに追って手を出してきたらしっかり警察を通して堂々と渡り合えばいい。そうなれば向こうのお父さんも、自分の血を分けた可愛い息子が最低最悪の性犯罪者だったって思い知るでしょうよ」
逆に言えば、そんな展開でもなければもう知らないで放っとけばいいんじゃないの。と考えつつお茶碗の中のコーヒーを勢いで飲み干してしまい、肩をすぼめて立ち上がり冷蔵庫へと向かった。
ぱか、と扉を開けて半分空いたペットボトルを取り出して二人のところに戻ってきて膝を立てて行儀悪く座り、きゅっきゅと蓋を回しつつ話を続ける。
「そういう展開にならずに阪口たちが素直にこのままあんたのことを諦めてくれたら。もうこっちもこれ以上関わらなくていいと思う。地元でのあんたの評判を保つ、なんて無駄なことだよ。それでまぁ、お母さんは多少肩身の狭い思いをするかもね。でも別にそんなの。知ったこっちゃないんじゃない?」
「う。…ん」
そりゃ、うゆちゃんならそう言うだろうけどさ。みたいな感情が落としたままの両肩から立ち昇ってる。わかりやすい子だ。
わたしはご飯茶碗いっぱいにとぽとぽとコーヒーを注ぎ足し、だりあに向かって要る?と一応尋ねる。強張ったまま首を振る彼女を横目にその間に自分の分を飲み干した越智が遠慮なく手を伸ばしてボトルを受け取り、自分のグラスに中身を足した。
「言うまでもなくお母さんもその彼氏もあんたも、みんなそれぞれ独立した人格でもう大人なんだし。自分のケツは自分で拭いてもらえばいいでしょ。半分の年齢もいかない娘の言動に安寧な生活の成り立ちを左右されてる場合じゃないと思う。本来ならまだ娘を全力で守らなきゃいけない立場なのに。いい歳した大人が子どもにおんぶで抱っこでどうするよ?」
つけつけとした口調で早口にまくし立ててたらだんだんちょっとずつ腹が立ってきた。自分もコーヒーで満たされたグラスを片手に持った越智が苦笑して話に割り込んでくる。
「天ヶ原。それアルコール入ってんの?俺らに注いだのと内容違くない?頭に血が昇っちゃってんじゃん、明らかに」
なるべくすんとした表情を繕い、素知らぬ顔で一蹴した。
「別に熱くなってなんかない。ただ事実を述べてるだけ。…男の人に全部をお任せしてはいはい言って全部受け流してればいい生活ができるんだって本気で思ってる人は多分、本物の外れに当たったことないだけだから。自分だって若いときに阪口みたいな奴に当たれば懲りると思うよ。それとも自分以外の人間なら、どんな酷い目に遭ってもわたしたちがいい暮らしをするために大人しく犠牲になってりゃいいんだってことか。そういう感覚の人の言うこと聞く必要ない。あんたにはそりゃ、たった一人の大事な親かもしんないけどさ」
「うん。…よくわかんない」
だりあはほとんど中身の減ってないマグをしっかり両手で包んで抱えるようにして、か細い声で独りごちた。
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