2人が本棚に入れています
本棚に追加
「自分はお母さんのこと好きなのかな?ってのは。…正直、あまり深く考えたことないかも。それよりもずっと、なんか怖くて。…別にぶたれたりとか直接手を出されたり、外に放置されたり追い出されたりってこともないのに」
一般的に言われるような虐待を受けてたってわけじゃないってことか。だからいい親だとももちろん言えない。他人の家庭の話はなかなか難しい。
「苛々されたり不機嫌になられるっていうのが嫌で。いつもどうするのが正解か悩んでばっかでびくびくしてた。陽くんが部屋を借りてくれて、家を出られたときはすごくほっとしたんだ。もう毎日お母さんの顔色伺わなくていい、これ言ったらこうしたら機嫌損ねるかもってずっと考えて常にあれこれ迷わなくていい。…そう思ったら肩の荷が降りてめっちゃ楽になった。のに、なぁ…」
今度は彼氏が顔色伺う対象になった。ってだけであんまり状況は変わらない、むしろ悪くなった。…で結果終わったわけだ。
越智が小型のテーブルの上にグラスを置いてから、慰め顔に手を伸ばしてだりあの腕の近くの空間をぽんぽん、と軽く叩く真似をした。
相手が弱ってるタイミングで気軽に馴れ馴れしく手を触れない、くらいの分別はあるらしい。
まあまあ、わたしの知ってる男の中でならだいぶましなレベルの方に入る奴だと思うんだが。…だからといってだりあみたいな子にもてるとも限らない。上手くいかないもんだ。
「これまではやっぱり、木村の感覚も子ども時代の延長だったんだと思うよ。母親に怒られてもよく考えたら別に殴られるわけでも干されるわけでもないのに、何でかやっぱ今でも怖いもんな、俺も。そういうのってなかなか抜けないよ。…でも、もうここまで来たら。自分の方を優先してもいいんじゃね?」
「そう。向こうだってちゃんと自由な立場の成人なんだから。自分たちで何とでも立ち回れるはずだよ。だりあが気を回さなきゃどうにもならんなんてこと、あり得ないから。これ以上無駄なことで頭を悩ませるのはやめな」
わたしの方は、誰かを慰めようってときにその身体に触れる行動様式がそもそもない。ただ立ち上がって、そろそろこの子を休ませる寝床を作らなきゃ。と支度を始めながら話を続けることにした。飲み物の減り具合を見るにどうやらそれほど喉も渇いてないようだし。
「じゃあ、とにかく急いで一刻も早くお母さんに連絡しないとってこともなさそうだから。とりあえず今はシャワーでも浴びて寝よう。車の助手席でじゃしっかり休めなかっただろうから。…越智が一番疲れてるとこ悪いけど。ちょっと手伝って欲しいことある。この子をお風呂場に案内するから、その間頼める?」
「おう、全然まだ大丈夫。俺体力だけはマジであるから。伊達に空手で鍛えちゃいないぜ」
弾んだ声で胸を張って見せた。本当はめちゃくちゃ疲れてるのに虚勢張ってるのはわかるけど。この明るさはやっぱりありがたい。
とりあえず越智にはその場で待っててもらって、バスタオルとフェイスタオルの新しいのを出してきてお風呂場にだりあを連れていった。
わたしの部屋着とさっき帰りがけに立ち寄ったコンビニで買った下着の替えを渡してシャワーの使い方を教える。それから部屋の方へと戻ってきて、所在なく座ってる越智を手招きした。
「これなんだけど。…ちょっと、重いから。移動するの手伝ってよ」
「わ。…何だこれ。鉄製の、梯子?」
壁際に専用のフックがあってずっとそこに掛けっ放しだった。かなり重いし、一人で動かすのは結構危ない。所定の位置に戻すとそこから上のロフトに上がれるやつだ。
「何だよお前、小洒落た部屋住みやがって。ロフト付きってマジか。てか、普段全然使ってないの?持ち腐れじゃん」
「だって。親が気に入って絶対この部屋にしよう!ってはしゃいで決めちゃったんだけど。ここに掛けたままにしとくと、梯子が結構邪魔なんだよ…」
狭いキッチンに向かおうとすると、梯子がちょうどその前に立ち塞がる位置に来るのだ。
どのみちわたしは部屋にものを置かないので、普通に床に布団敷いて寝てもまだ空間が余る。だから上を使うのは家族の誰かが泊まりに来たときだけで、それ以外のときは梯子を外してある。母か父が部屋に来ると嬉しそうにそれを戻して、毎回わざわざロフトで寝てるってわけ。子どもか。
「えー、こんなんあったんなら俺も泊まりに来ればよかった…。木村がいるならもう無理だな。俺なんかいたら落ち着かなくて、夜休まらないだろうし」
「わたしだってあんたがいたら寝れないよ。言っとくけどそういう意味でじゃないよ。単に他人がいると嫌、寛げないから。…まあこれからしばらくは。そうも言ってられなくなっちゃったけどさ」
声を落として軽く嘆息した。上に昇ってほぼ物置きと化してたロフトを適当に片付けてるわたしに、風呂場の方を憚ったのか越智が下から気持ち抑えた声をかけてくる。
「残念だったな。俺んとこ、大学の寮じゃなかったら。ときどきはお前だけならそっちに泊まらせてやれたけど」
「だから。…他人んちは落ち着かないの、わたし。いくらあんたのとこでも」
会話の内容がガチで男女じゃない。だりあに二人きょうだいみたい、って評されたそのままだ。
最初のコメントを投稿しよう!