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『あぁ、珈琲って本当に美味しい』 陶器のカップの中でゆらめく琥珀色の液体を、 しばし香りを楽しんでから口に含み、 ごくりと飲んだ。香ばしい苦味が口の中に広がる。 真理子はふぅと息を吐いた。 ここは学生時代からお気に入りの喫茶店。 いわゆる今時のカフェではない、昔ながらの 喫茶店だ。入り口のドアを開けると、 カランカランと乾いた銅の音がする。 この音がまた、心地よいのだ。 主人の転勤で、真理子の地元であるこの街に また住むようになった。 在宅ワークのライターの仕事が行き詰まると、 ここにきて頭を空っぽにして、 気分を落ち着かせている。 なぜだろう、言葉が次々と溢れるように 出てくる時もあれば、 いくら考えても、集中しても、 言葉がまったく出てこない時もある。 そんな時、どう絞り出しても 納得がいく文章は仕上がらない。 この店は、とても貴重な存在だった。 カフェはどうも馴染めない。騒がしい。 椅子が高くて心地悪い。値段も高い。 人気の珈琲一杯の値段で、この店なら 美味しいケーキセットが食べられる。 と言っても、真理子は領収書をもらって 経費で落としているのだから、 ちゃっかりしている。 丸太作りで、山小屋みたいな内装。 控えめにクラシックが流れている。 手作り風の陶器のカップ&ソーサーは、 同じ物はない。色も形も模様も様々。 何に当たるか、それもまた楽しみの一つだ。 『ランデブー』 店の名前は、さすがに古くさい。 真理子が学生時代は、ちょっとかっこいい お兄さんだったマスターもすっかりおじさん。 自分だってもうすぐ40歳になるのだから、 当たり前だ。 マスターは、年を取って良い感じに ダンディーになっていた。 さほどの値上げもせず、何より店を営業し 続けてくれているのが一番ありがたい。 でも、今日はちょっと外れだった。 「ぎゃははははは!!やだぁ、嘘でしょ?」 真理子は心の中で舌打ちした。 隣の席の中年女性四人組の客が、先程から 大声で盛り上がっている。 静かな客が多いこの店では珍しい光景だ。 一人で過ごす大事な癒しの時間を 台無しにされた気分だった。 こういう雰囲気の店で騒ぐ客って、ほんと 許せない。
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