萬緑五月

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── side 柊 香苗 ─── 腹が立って仕方がなかった。 朝突然の電話で起こしてきたかと思えば用件だけ言って謝罪も感謝も無く電話を切る会長にも。 前もって連絡をしない理事長にも。 何より、転校生だというこの信じられないほどダサくて鬱陶しいクソマリモにも。 門を飛び越えるって、学校への尊敬と一般常識が足りてない。 『俺は本部遙真だ!です!!お前はなんて言うんだ!?ですか!!教えてやったんだから教えろよ!!!』 うるせぇ。 敬語を使おうとした努力があるなら諦めるなよ。一方的に話してくるな。俺は人と一方的に話すのが好きなんじゃなくて人と語り合うのが好きなんだ。 『なんでそんな笑顔貼り付けてるんだよ!!気持ち悪いからやめろよ!!!俺の前では無理すんなよ!!!』 作り笑いが苦手なことくらい分かってるよ。 家が金持ちだか名門だか言ってるだけで、結局俺だってただの男子高校生なんだから。 でもこうしないとやってられないんだ。ほっとけよ部外者。 ”優しい敬語の王子様”なんて偶像なんだから。俺は口が悪い男子高校生だし、猫かぶってるに決まってるだろ。お前と喋ると内蔵がゾワゾワして仕方が無いから黙ってくれ。 なんて願いが届くはずもなく。 門から理事長室に行く間も転校生はうるさかった。転校生が理事長室で話している間に、この後話しかけられ続けることを想像し思わず走って逃げるくらいには体力と精神力にきていた。 流石にまずいかと思い、職員室へ向かう。 職員室の扉を叩いて開き転校生の件を伝えると、そばに居た3年B組担任兼社会科補佐担当教師の木村先生が職員室内に居るのであろうこのクソ野郎の担任、木下理久先生を呼びつけた。 木下理久といえば、学園内の教師の中でもトップクラスで人気の教師だ。自分の2Sも木下先生の社会だった気がするが、忙しさからあまり出られていない。ただ、数少ない出られた授業の記憶でも、すごく分かりやすかったのは覚えている。 数少ない授業の記憶を思い出していると、扉が開いて木下先生が出てきた。珍しくきちんと時間通りに来ていたらしい。 「おー、副会長さん。転校生連れてきたか……って、なんだ、ご機嫌ナナメか?」 教材などを持って出てきた先生は、俺の顔を見るなり片眉を上げた。流石トップ人気というべきか、顔が爆発的に整っているので絵になる。まるで漫画のキャラクターのようだ。 階段の方からドタドタと煩わしい足音が聞こえてきたため、そろそろ来るか、と思い不思議そうな顔をしている先生に返す。 「ああ、木下先生…そろそろお分かりになるかと…ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」 どういうことだ、と聞きたそうに更に疑問を深めた先生が口を開きかけると同時に、職員室前廊下にクソ野郎の声が響き渡った。 「あ!!香苗!!いた!!なんで置いてくんだよ!!友達を置いてっちゃダメだろ!!?」 誰がお前なんかと友達になるかよ!!! もう心の中で突っかかるのも疲れて思わず眉間に皺が寄る。先生が、『こいつが転校生か?ほんとに?』とでも言いたそうな複雑な顔を向けてきたため、ため息とともに頷く。 「何ため息ついてんだよ!幸せが逃げちゃうだろ!!俺がいるんだからため息なんてつくなよ!」 「あーはい、それは大変申し訳ありませんでしたね、ほら、こちらがおま…貴方の担任の木下先生ですよ。」 危ねぇ、あまりのダメージに言葉が乱れるところだった。ほんとにコイツといると悪い意味で調子が狂う。 ついでに擦り付けて帰ろうかと思い、木下先生を手で指してクソ野郎に紹介する。コイツはどうやら顔が良い奴が好きな様で、すぐに目を輝かせた。 「おま、あなた、が担任なんだな!ですね!!かっこいいな!!名前なんて言うんだよ!教えろよ!!」 流石に木下先生も引いているのが顔で分かった。当たり前だろう、いくら生徒に人気で顔が若々しくてイケメンでも、教師なのだ。教師目線で考えてみれば、生徒がこんな感じだと困るというか引く。 だが、それも裏目に出る。だって教師なのだから、無視なんて出来ない。 「あーー、1S担任の木下理久だ。今からお前のクラス連れていくから着いてこい。副会長さんも教材運ぶの手伝ってくれ。」 木下先生は、逃がさんぞと言わんばかりの目でこちらをジロリと睨んだ。 「理久か!!よろしくな!!俺は本部 遙真!!遙真って呼べよ!!!」 またしても下の名前呼び。恐らくだが木下先生はこいつに靡かないと確信できる。根拠は無いが。 「え、私までですか……」 ともかく、巻き込まれたことが最悪だ。 1S教室へ向かう道中も、クソ野郎は煩かった。友達ができるかうんたらなんたらどうたらこうたら。ああムカムカする。胃もたれだってこんなに苦しくない。 「…木下先生、私まで道連れにするのはやめて頂きたいのですが。」 「お前なあ、俺にコレを1人で相手しろってーのか?余程の物好きじゃないと無理だぞ?」 「それは……まあ、一理ありますね」 確かに、コレを1人で相手するキツさは俺が身をもって体験している。ため、何も言い返すことが出来ず結果は変わらなかった。 「……まあ、無理すんなよ、副会長。」 唐突に、木下先生がそう言った。 なんで、なんでなんだろうか。 クソ野郎に”無理するな”と言われた時はあんなにも苦しかったのに。なんで大人ってこうなんだ。なんでそんなにも残酷なんだ。 こうも簡単に、人の気持ちを楽にできるのか。こうも簡単に、人の感情を揺さぶることが出来るなんて。 俺は別に木下先生とたくさんの時間を過ごした訳でもないし、『無理するな』という言葉が俺にとって感慨深いものと言う訳でもない。 ただ貴方の声が暖かくて、涙が出そうになるほど慈しむ声色で微笑まれたら。 ああ これだから ​─────── ─ そのあとの会話なんて覚えてない。 ただ仕事を終えた時に、木下先生と約束をして、柄にもなく本当に喜んでしまったことだけは覚えている。嗚呼恥ずかしい。 しかし、別れ際まで騒いでいたクソ野郎のことなんてどうでも良くなるくらい嬉しいのは確かだった。 生徒会室へと向かう足が、いつもより軽くて、清々しかった。 ​──── ─これだから大人はずるいんだ。
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