運 転 手 来

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運 転 手 来

"運" 幸運も不運も 来るべき時に 来るべき場所に 来るんだろうけど 別に今となってはどうでもいい。 だけど 運の欲しい時はあったんだ。 たとえばさ 8時10分のバスに乗るとして バス停留所まで5分。 余裕を見て2分。 朝の準備に30分。 起床時のウダウダに30分。 逆算して7時2分までに起きて家を出よう。と、 たいていの方はそうする。 他にも ペットの世話や朝の運動、読経やラジオ体操 などが加わる方もいらっしゃるだろう。 さらには五分前行動が 習慣になってる方もいらっしゃるはず。 職場に誰よりも早く着きたい方も。 そう。それでこそ大人。それでこそ社会人。 と思って行動してきたが… さて、どうだろう? 最近わたし こう思うのです。 もし、目覚めて 顔洗って トイレ済ませて 犬の散歩して 朝食食べて 着替えて 適当に歩いて行ったら ちょうどバスが来た。 というかいつもバスが来て 待ち時間がない。 なにより無駄がない。 こっちの方がかっこいい。 だって1時間に一本のバスならまだしも 都会なら5分10分で次のバスは来るし 寝起きの習慣なんて 毎日大きく変わらないから そうであってもおかしくはないじゃない 運を呼び込むのなら この行動の方が理に(かな)っている気がする いやいや、何も通勤の話に限らず 日々の行動は取捨選択の積み重ねなんだけどさ ごはんでも買い物でも仕事でも 生活の自然な流れの行動より 予定の為の行動つまり 自我を加えた行動が優先するんだけど 運はバスみたいに 定時に来るわけじゃないからさ 理屈に合わせた自我を加えた行動とは なかなかタイミングが合わない気がするの だから最近は自然まかせ 時刻表は捨てた 寝坊も遅刻もしないけど 変なシバリからは解き放たれた この手に運が転んで来る 気がすんだよね。 うん。
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