さをりの森

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この町で生まれ、この町で育った。なのに僕は、なにも知らずにいた。  初対面の彼女に悩みを打ち明けたのはなぜだろう。そう考えながら僕は織機の前に座る。ふと身がすくんで、シャトルを取り落としてしまった。 「だいじょうぶですか? 拾えないなら私が……」 「大丈夫、自分で拾えますから」  シャトルを落としたのは動かない指のせいじゃない。織機がピアノにそっくりだったからだ。 「右手は私が支えます。でも、織るのはあなた。いいですね?」  僕はうなづくと、ペダルを踏み変え、リードを引いた。  リハビリが済んでも、以前のように弾けないかもしれません。この告知は僕をひどく打ちのめした。もしそうなったとき、僕はどうすればいい? ピアノは僕のすべてなのに。 「しまった、縦糸を一本抜かしてる」  織り目は不自然に浮いて見えた。失敗だ。彼女の支えがあるとはいえ、不自由な指でシャトルを操るのは難しかった。  苦戦しながら糸をほどこうとすると、彼女はふしぎそうな顔をする。 「どうして解くんです? とても素敵なのに」 「素敵? これが?」 「ああ、お話がまだでしたね。さをり織りは、傷からはじまったんですよ」
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