さをりの森

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 きっかけはこの町の主婦が織った、縦糸の一本抜けた手織り布だと彼女は言った。常識では傷物とされ、価値はない。だがふしぎな魅力があったという。視点を変えれば傷も模様。そう考えた主婦は、あえて傷を織り込んだ布を呉服屋へ持ち込んだ。すると店の主人は、常識破りのその布を、これは面白いと高値で買い取ってしまった――。 「常識を離れたさをりの魅力は世界に広まり、いまやさをりを学ぼうと、各国から多くの芸術家が、この町を訪ねるようになったわけです。私のように、ね」  彼女が手をあげた。すると織部屋のいたるところから様々な性別、人種の手があがる。僕はおもわず苦笑した。ちゃっかり大阪のおばちゃんの姿もある。 「私もさをりを知ったとき、衝撃でした。常識にとらわれず、心のままに糸を間引き、傷を織る。屑糸を織り込んでも構わない。なんて自由でおおらかなんだろうって」 「それがそんなにすごい?」 「ええ。本来織物には厳格な制約があり、絶対に従わねばなりません。しかも常に完璧を求められます。一本でも糸を抜かせば価値を失うのですから」  ズキッと指が痛んだ気がした。ピアノの演奏と同じ、そう思ったのだ。
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