過去形への入り口

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自動販売機でまたキスを買う。  アイスキャンディを分け合ったベンチは朽ち、思い出の駄菓子屋は潰れていた。けれど、軒先の自動販売機は売り物を変え、変わらずそこに立っていた。  衝撃から我に返る。蝉しぐれをききながら百円玉を三枚入れてみる。ガラス張りの自動販売機が開く。すると中から男が現れて、目を閉じたわたしにそっとキスをする。  だめだ。また涙がとまらない。 「……先輩」  自動販売機の男の姿は、初恋の人におどろくほどよく似ていた。  すぐに立ち去るつもりだった。なのに何度もお金を入れてしまう。繰り返しキスを受ける。そのたびに、叶わなかったあの日の思い出がよみがえる。いまのわたしを見て、先輩はなんと言うだろう。そう考えると先へ進めず、後にも退けなくなった。過去に溺れるとはこういうことか。そう思った。  画面に映るこの模様に、握手してよろこぶふたりの男がいた。 「実験は成功ですね」 「ああ。貴重な納税者をこれ以上国外へ流出させる訳にはいかんからな。自動販売機の収益は国庫に入る。一石二鳥だ」 「ところで自動販売機のあの男。ロボットですか」 「いずれVRを使うつもりだが、あれは本物だよ。借金で首がまわらなくなったらしい。昔は女学生の憧れの的だったらしいが、借金の棒引きを条件に出すと、喜んで自動販売機に入っていったよ」
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