二人の和音

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二人の和音

 まず最初は、指先だった。 彼の手が私の手に重ねられた時が、恋の始まりだったと思う。  高校一年。 クラスが一緒でも、一度も話す事のなかった彼。 名前順の席だから、彼が始まりで私が終わり。 彼が一番前の一番端、私が一番後ろの一番端。  対角線を引けば私と彼は一本の線で結ばれる。  そんな考えを授業中にするようになったきっかけがあった。 彼が気になり、こっそりと彼の横顔を見てしまうようになったきっかけ。  音楽の授業が終わり、私は親友のタヅちゃんと教室に戻った。 でも、筆箱を忘れてる事に気が付く。 「忘れ物した!取りに行ってくるね」 駆け足で、一つ上の階にある音楽室に戻った。 ドアをそっと少しだけ開けると、中からピアノの単音が聞こえてくる。 一音を三回弾くと半音上げてその音をまた三回弾いた。 中に入るか迷いながらも、私はさっきより大きな音を出して扉をさらに大きく開いた。  ピアノの方を見て、目が合ったのが彼だった。 言葉を交わした事のない二人。 だから私は何も言えず、机の上に置かれたままの筆箱を取り、出ていこうとした。 すると、 「あのさ」 と彼が言う。 私は彼を見た。 「筆箱忘れてたから、後で渡そうと思ってたんだ」 話がそこで止まる。 沈黙に耐えられず、 「そうだったんだ。ありがとう」 と言い、多分私は居心地の悪い笑顔を見せたと思う。 彼はクラスで皆に人気があり、明るく元気で、私とは違いすぎるから。 私がまた立ち去ろうとすると 「あ、待って」 と言う。 さっきと同じように彼を見た。 「誰の筆箱だろうなって思ってさ、ついてるストラップ見たんだけど、ピアノ習ってるとか?」 私の筆箱には、硝子で作られた、小さなピアノのストラップがついていた。 「今は習ってないけど。中学の頃は習ってたよ」 彼の表情が明るくなるのが分かった。 「ちょっとこっち来て」 私は戸惑いながらも彼の方へ進んだ。 彼の隣まで行くと、彼は椅子から立ち、私に座るよう、手で椅子をポンポンと叩いた。 「座って」 その優しい口調は、私を戸惑わせた。 急かされた訳ではないけれど、私は戸惑いながらも、座る以外の選択肢が思い付かない。 「好きな和音弾いてくれない?」 「好きな和音?」 「うん。なんでもいいんだ。綺麗な和音っていうのが分からなくて」 私は迷いながらも、最初から決まっていた音であるように親指、中指、小指で鍵盤を押さえた。 右足でペダルも踏んだ。 この音で良かった、と思うような心地良い和音。 その時。 「そのままでいて」 彼はそう言い、私の手の上に彼の手を重ね、真似るようにして鍵盤を押さえた。 彼の指先が触れ、その指先は冷たく、その冷たさが、心の中のまだ知らない部分を緊張させる。 ピアノを弾くには良い、大きな手。 細く長く綺麗な指。    二人で押さえたその和音はどこまでも遠くに響くようだった。 終わる事なく、響き続けてほしい音。  私の恋の始まり。 まず最初は、彼の指先だった。
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