秘密の時間

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秘密の時間

 そしてその次は、二人の秘密の時間だった。 少しずつ、少しずつと思いながらも、私の想いはあっという間に大きくなってゆく。  席替えで彼の隣の席になる事はできなかったものの、前よりも彼と近い席になった。 私よりも彼が後ろの方だから、彼の横顔を眺める事ができなくなったのが惜しい。 でも、例えば。 後ろの人にプリントを渡す時、何気なく彼の方を見ると、彼もこっちを見ているなんていう事が結構あった。  教室では話さない二人。 私が恋した日以降、目配せだけで、会話はなかった。  ある日、彼が私の席の横を通った。 その時彼はそっと、机の上に小さなメモを置いていく。 私は周りの人に見られないように急いで制服のポケットにメモをしまい、トイレでこっそりと読んだ。 次の音楽の授業の後の休み時間、音楽室に残って話したい ピアノも教えてほしい そう書かれていた。 私はそのメモを優しく撫でた。  私にとって、彼は初恋ではない。 でも初めて、想いを言葉にしたいと思った相手だった。 クラスで彼が皆を笑わせた時、私ももちろん笑顔になる。 そして彼は私の方を見てくれるのだった。  私達は密かに、だけど、私達には分かりやすく目配せをした。  秘密の時間。 私はあの日と同じように、忘れ物作戦を決行した。 「どこに置いてきたか分からないから、少し遅くなるかも」 と、さらに嘘を付け加えてしまう。 タヅちゃんにも、誰にも言わない秘密の恋だったから。 今は。  一度教室に戻り、再び音楽室に戻る途中、鏡で自分の顔と髪型を確認する。 つい頬が緩んでしまった。  音楽室のドアを開けると、彼は笑顔で私を迎えた。 そして、ピアノの鍵盤に触れ、私が教えたあの和音を弾く。 「ちゃんと覚えたよ」 と言い、照れるように笑った。 ピアノから離れ、席に座る。 私も彼が座った席の隣に座った。 「何から話そうか?知らない事が多いよね」 こうやって向かい合うのは初めてもしれない。 グランドから男子生徒達の楽しそうな声が聞こえてきた。 その音がなければ、本当に私の心臓の音が聞こえてしまいそうだ。 「ピアノを弾けるようになりたいの?」 「あ、うん。そ、そう。簡単な曲でも良いから弾きたくて」 彼はどうしてか、慌てるように答え、腕を軽く掻いた。 「じゃあ、普段どんな音楽聴くの?」 音楽が好きな私にとっては、親しくなるのも音楽の話が一番だと思った。 でも、彼が言うバンドを私は一つも知らず、私が言うバンドやジャンルを彼は一つも知らなかった。  一通り話したところで目が合う二人。 どちらからともなく、笑い出す。 「全然共通点がないね」 私が言った。 「だね。でもさ・・・」 彼の言葉が止まる。 私は彼の瞳を見る。 あの日、重なった手を思い出した。 そして、今の真剣な表情。 次の言葉を待つ時間が惜しくない。 「お互いの好きな事、物。これから教え合おうよ」 「うん」 「もし良かったら、毎週この時間、ここで話さない?」 「えっ」 「もっと話したいから」 あまりにも真っ直ぐと、あまりにも優しく心に届く言葉。 「うん。毎週来るね」 私も。 私も言葉にしたい。 今この瞬間は、何も怖いと思わなかった。 素直に言葉にする事も、自分の想いを知る事も。 「良かった。楽しみにしてるよ」 再び二人は笑い合う。 照れ隠しでもあるし、そもそも笑顔を隠せるような状況ではなかった。 喜びに溢れていた。 「時間なくなっちゃうから、新しい和音教えるね」 私は自らピアノに向かい、彼を呼んだ。 「早く、こっち」 「うん」  その日は、親指、人差し指、中指、小指を使う和音を教えた。 「難しいね」 と言いながらも、その長く綺麗な指で、いとも簡単に四和音をマスターした。  秘密の時間。 愛しければ愛しいほど、秘密にしたい時もある。 それが幸せでもある。 だけど、いつかは必ず言葉にするべき時がくる。 その時が来ないのならそれは、留まる幸せとなり、新たな幸せを感じる機会を失う。
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