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「いらっしゃいませ。ようこそ」
旅館とは名ばかりで、まるで古びた民宿のような佇まいの宿だというのに、出迎えてくれた女将からは酔いそうなぐらい化粧と香水の匂いがぷんぷんと漂った。
「何もないところですが、ごゆっくりどうぞ。ご夕食は六時頃でよろしいでしょうか。それから祓井戸はそちらの道沿いの階段から登れますので、お食事前に行かれてはいかがでしょう」
二人を部屋まで案内すると、目の前まで木々が迫り、眺望など皆無な窓の外を女将は指差した。
どうせ祓井戸を目的に来たのだろうと言わんばかりの口ぶりだった。そう思うと、なんだか自分達の関係まで見透かされているような気がして、阿澄は落ち着かない気分になった。
「それじゃあ、さっさと行って来るか」
女将の出て行ったふすまを一瞥して、良太はすぐに立ち上がった。
「食事前に行ってこいだなんて、感じ悪いわ。お風呂に入るんじゃあるまいし」
「祓井戸のお陰で、よっぽど繁盛してるのかな。気づいた? すごい指輪してたよ」
阿澄も、女将の指でこれでもかと存在を主張する指輪には自然と目がいった。しかも一つではなく、ダイヤにエメラルドにルビーと何種類もの指輪がゴテゴテと下品な輝きを放っていた。
「その割にボロよね。少しぐらい旅館の方に回せばいいのに」
駅まで迎えに来たワゴンはサビが浮き、シートもところどころガムテープで補修されたようなオンボロだったし、宿も畳は色褪せ、襖も傾いたひどい有様だ。それだけに女将の成金趣味だけが妙に浮ついて見えた。
「食事ぐらいはまともなのかしら」
「どうだか。あの女将さんの派手なネイルを見る限り、自分では包丁は持たなさそうだけど。最後の旅行なんだし、もうちょっとマシなところ選べばよかったのに。そういうところが、君らしいよね」
どういう意味、と喉元まで出かかった言葉を阿澄は飲み込んだ。いつの間にか最後の旅行と決めつけられているのも不愉快だった。
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