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祓井戸
「旅行に行かないか」
良太に誘われた時点で、阿澄は彼の思惑を悟った。
良太との付き合いはもう八年にも及ぶ。当初はすぐ別れると言っていたはずの奥さんとの夫婦関係は、未だに解消される事無く続いている。今となってはもう、阿澄もまだかと急かす気もなくなったし、良太も離婚については口にしなくなった。
はじまったその時と同じ、日陰の関係がだらだらと続いているだけだ。
最初はスリルと背徳感をスパイスに盛り上がりを見せた恋も、今となっては時間がたったガムみたいに味気なくなった。ただただお互い惰性に任せて、理由も目的も自覚もなく噛み続けているような状態だ。
最近では良太の側も、身体すら求めようとしなくなった。妻の身体に飽きたのと同じように、阿澄の身体にも飽いたのだろう。婚姻という制度や子どもというかすがいで強固に結びつく夫婦関係と違い、互いに魅力を感じなくなった不貞関係にはお互いを繋ぎ止める制約など何もない。
きっと近いうちに、このまま終わりを迎えるんだろうなという予感はひしひしと感じていた。
「だったらいいところがあるわ」
阿澄が提案したのは、山陰の山奥にある一件の旅館だった。
観光地からも遠く離れ、これといった見どころもない土地柄ではあるが、旅館の裏山に建つ神社が、このところインターネット上を中心に話題となっているのだ。
神社の境内に『祓井戸』という古井戸がある。なんでも大昔に偉い仙人だかお坊さんだかがやってきて、土地にまん延していた疫病を祓うために開いた井戸なのだそうな。以来、穢れを祓うご利益のある井戸として、人を殺めた刃物や、人には言えない理由で手に入れた後ろ暗い金品などが放られるようになった。
そんな言い伝えのある祓井戸が、現代では別れた恋人との思い出の品を捨てる場所として、密かに盛り上がりを見せつつあるという。捨てるに捨てられず、売るに売れず、かといって部屋に置いておくにも困るようなものを祓井戸に投げ入れる事で、込められた想いごと浄化しようというのだ。
「面白いじゃないか。じゃあ、今まで君にもらったものを全部持っていけばいいんだな」
そう言って自虐的に笑う良太に対し、阿澄の心の中にくすぶった不満はまた少し大きく膨らむのだった。
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