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泣き方
ぴしゃぴしゃと天ぷらを揚げる音がして、陽介は目を覚ました。そのあと、ぎゃあぎゃあという声が一階から聞こえてきた。祐樹だ。そうか、今日は遠足だった。音が揚げ物の音ではなく、雨によるものだと気づくのに、数秒を要した。
いつまでも起きてこない陽介を見かねて、母親は部屋へと入り、「いい加減にしなさい」と、布団をはぎ取った。
しかし彼は目を開けたまま、寝転んでいるだけだった。その表情は無に等しかった。叩き起こしても、手を引っ張っても、無駄だった。気力がない。
「どうしたの?」
さすがに心配して、母親が陽介に聞いた。「気分が悪いんだ」と青い顔をして言う。額に手を当てるが、熱はなさそうだ。
「気分が悪いんだ」もう一度つぶやいた。
悪さはするが、学校をずる休みすることなど、今までになかった。母親は「とにかく寝てなさい」と言うと、また布団をかけ、部屋から出て行った。
朝、運ばれたおかゆは手つかずのまま、学習机の上に放置されていた。昼過ぎ、母親はドアを少しだけ開け、「ちょっと買い物に行ってくるから」と言い残し、去っていた。
力なく呆けていた陽介だが、尿意は否応なしに彼を襲う。なんとか身体を起こし、ベッドから起き上がると、毛先のくたびれたカーペットへと下りた。
トイレから出ると、一階で物音がした。階段を下りて、音のする和室の方へ行くと、祐樹が積み木でタワーを作っていた。
「なんでいるんだよ」
そう声をかけると、「遠足なくなったから」と口を尖らせる祐樹。窓の外には、いくつもの雨粒が、降り注いでいた。
祐樹はタワーを陽介から背で隠すように、座ったまま移動する。その背は震えていた。大型動物におびえる小動物のようだった。
「別に、なにもしねぇよ」と、畳の上にあぐらをかいた。祐樹の背中を見て、陽介はため息を一つついた。
「こっち向けよ」
祐樹は恐る恐る振り返り、陽介を見た。昨日の、美奈子の表情とそっくりだった。陽介は座ったまま、祐樹にじり寄り、頭の上にポンと手を置いて、わしゃわしゃとなでた。
そして、「なぁ、泣き方を教えてくれよ」と窓に打ち付ける雨と風を見ながら言った。
祐樹はぽかんと口を開けて、陽介を見る。
「いつも、びーびー泣いてるじゃないか」
祐樹は、「泣いてない」と頭を振った。
「てるてる坊主の童謡、歌えるか?」
陽介が聞くと、祐樹は「幼稚園で習ったから、歌える」とうなずいた。
「じゃあ、その童謡には、幻の歌詞があるの知ってるか?」
「幻ってなに?」
「今はもう、なくなってしまったもののこと」
祐樹は「なくなっちゃったんなら、しらないよ」と答える。「教えてやろうか?」と陽介が言うと、祐樹は「やだ」と、首を振る。
「なんで?」
「また怖いことをするつもりだから」
「しないよ。俺の目を見ろ」
いつになく真剣な表情を向ける陽介。祐樹は静かにこくりとうなずいた。
「てるてる坊主、てる坊主、あした天気にしておくれ、もしも曇って泣いてたら、空をながめてみんな泣こう」
祐樹は何も言わず、陽介を眺めていた。その視線はまっすぐと彼を捉えていた。
「だから、一緒に……」
そう悲しそうに微笑んで、陽介はもう一度、祐樹の頭をなでた。
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